【ロシア生まれの武骨な四駆】戦場カメラマン・横田徹がラーダ・ニーヴァを愛車にする理由
公開 : 2024.11.10 08:05 更新 : 2024.11.10 17:28
日本でも根強い人気のロシア生まれの武骨な四駆『ラーダ・ニーヴァ』を、世界トップレベルで厳しい職業、『戦場カメラマン』の横田徹さんはなぜ選んだのか。加藤久美子がレポートします。
もくじ
ーコロナで「戦場」に行けない代わりにニーヴァを購入?
ーカメラ歴よりクルマ歴のほうが長い?
ーパーツの入手が困難。世界中から探してもらう
ー壊れやすいというイメージがあるニーヴァ。実際のトラブルはどう?
ー様々な『出会い』を生み出すニーヴァの魅力
コロナで「戦場」に行けない代わりにニーヴァを購入?
横田徹さんは独学でカメラを学び、1997年、26歳の時はじめてカンボジア内戦を取材した。以来、東ティモール、コソボ、アフガニスタン、イラク、シリアなどに足を運んできた。そんな横田さんの愛車は日本でも人気が高いロシア車『ラーダ・ニーヴァ』である。どのような出会いだったのか?
「コロナで渡航規制が敷かれ、海外に行けなくなって仕事もなくなって……、戦場カメラマンという仕事も終わりだなと。精神的につらい時期でもあったので、ひたすら趣味である狩猟にのめりこんでいました。そのころに出会ったのがラーダ・ニーヴァです。とにかく保管状態が非常によく、走行距離も1万km。それまで乗っていたBMW(E30)を結構いい値段で買い取ってもらえたので、少し足して250万円でニーヴァを買いました」
ニーヴァとの出会いは、ロシアがウクライナを侵攻する約1年前となる2021年の春。横浜市都筑区にある中古車店だった。
「狩猟をやるのにもちょうどいい大きさと使い勝手で、荷物も見た目以上に積めます。林道だと大きなクルマでは入れませんが、ニーヴァのサイズならちょうどいいんですよ。もちろん悪路走破性も素晴らしく、特に雪道は世界最強? というくらい走ってくれます。ロシアという寒い国のクルマですからね」
気に入っている部分はとても多いようだが、もっとも好きなのは運転席から見た風景だという。
「今のクルマでは味わえない、この安っぽい(笑)、古い感じが好きなんですよ。自分が免許を取ってクルマに乗り始めた頃の懐かしい景色が、ニーヴァに乗るとよみがえってきます。乗り込んだら大きなタブレットがまず目に入ってくるようなクルマは好きになれないですね(笑)」
カメラ歴よりクルマ歴のほうが長い?
ウクライナ軍に同行し最前線で撮影をし、世界に発信し続ける横田氏は、日本を代表、いや、世界でも指折りの戦場カメラマンである。最初に戦場(カンボジア)にいったのは26歳の時だった。しかし、「カメラ歴よりクルマ歴のほうが長いんですよ」と、横田氏は穏やかにほほ笑む。
そんな横田氏が高校生で免許を取って最初に乗ったクルマは、実家にある父親のトヨタ・ランドクルーザー60だった。
「父が新車から乗っている、自動車電話もついた(笑)ランクル60で運転の練習をしました。小さな交差点をふさいでしまったり、何かと扱いが難しいクルマでしたね。でもとても楽しくて、高校にもこっそりランクルに乗って行ってみたり」
「自分のクルマとして乗り始めたのは、アメリカにいた21歳のとき。この時期、語学学校に通ったり、バイトしたりで1年くらいアメリカに住んでいました。現地の友人が『乗ってていいよ!』と言ってくれて、乗っていたのがダットサン510です。
太いドライタイヤを履いて、強化クラッチも入っていて、クルマってこんなに運転するのが大変なのか! って思いましたね。そのあと、買ったのが60年代のマスタングです。確か3000ドル(当時のレートで約30~40万円)くらいでした。今ではとてもそんな値段では買えないでしょうね」
その後、バンコクに5年住んでいた時にはクルマは所有せず、帰国した2004年からはBMW318→スズキ・ジムニー(JA11)→BMW320(E30)と乗り継ぎ、ニーヴァにたどり着いた。加えて今年春には、家族との移動用、長距離移動用に、昔から好きだったトヨタ・スプリンター・カリブ(1990年式)も購入している。
「カリブが現役の90年代には感じられなかったのですが、今見たらあのスタイルがすっごくカッコいい! って思えます。長距離も快適です」