まだまだ頑張る現役編集長の奮闘録

2014.11.26

CLASSIC & SPORTSCARのWebサイトがオープンします

 
10月21日
11月に発表予定の某社の新型FCVの試乗会だ。会場のサイクルスポーツセンターには、未来志向のデザインの新型車が並んでいた。走りは、これまでのEVよりも更に自然になり、乗り心地も良く、より高級車にシフトしてゆくような意図も感じられた。価格も補助金を含めれば前評判よりもかなり安くなるようだから、これで、燃料の供給の問題が解決したら、魅力的なクルマになるのは間違いないと思われる。

 
10月23日
来月号で特集する松田芳穂さんを訪ねる日だ。松田さんと言えば、ポルシェミュージアムやフェラーリミュージアムをつくり、普段は到底見ることのできない貴重なスペシャル・モデルの数々を展示して、我々趣味の世界の人々に大きな影響を与えてくれた方だ。松田さんがいなければ、日本の趣味界は、今とはずっと異なったものになっていただろうと思うと、その存在の大きさには改めて感謝するとともに、73歳になった今でもイベントに積極的に参加する姿には、本当に学ぶべきことが多いと思う。私は個人的にも、親しくお付き合いをさせて頂き、1990年代には、2人でティームをつくり、ミッレ・ミリア、ツアー・オート、ラグナセカ、シェル・フェラーリ・ヒストリック、フェラーリ・チャレンジなど、海外に遠征したことも懐かしい思い出だ。松田さんの詳しい足跡は本文で。

 
11月5日
ある上場企業の社長と10年ぶりに夕食を共にした。彼とは、30代の頃、当時練馬の大泉にあったガルト・カーサービスというポルシェのスペシャル・ショップで知り合った。その頃、私は無理して買った356の維持で四苦八苦しており、一方の彼もナローの911Sの維持で頑張っていた。彼は某大企業で、後に大ヒットするプロジェクトを立ち上げていて出世頭であったが、何と、突然その立場を捨てて起業してしまったのだ。その後、2人とも忙しくなり、音信が途絶えてしまっていたが、10年ほど前に上場を果たしたと聞き、単純に成功したんだと思い込んでいた。しかし、先日、はじめて会社を辞めた後の苦労を聞かせてくれ、私も大いに勇気づけられたのである。彼の話では、独立した後の世の中は甘くなく、潤沢に用意したはずの資金はすぐに底をつき、苦労に苦労を重ね、本当にもうダメだ、と思った時も何度もあったという。それでも諦めずに、ひたすら粘り強く頑張り遂には上場に至ったという、決して字面だけでは知りえないストーリーを初めて聞き、まだまだ私など甘いなあ、と反省することしきり。この話を聞き、私は良い友人に恵まれている、としみじみ感じたのである。

 
11月15日

 
今日はAUTOCAR JAPAN FESTIVALの開催の日だ。ラッキーにも昨年に引き続き、きれいに晴れ上がり、素晴らしい富士を眺めながらのイベントとなった。今年で18回目を迎えるこのイベントは、当初、ツインリンク・モテギのオープンと共にスタートした。当時、米国、西海岸のラグナセカのヒストリックカー・レースに魅了されていた私は、何とか日本でも世界に通用するようなイベントが開催できないかと考え、それを実行に移したのが始まりだった。いまでも、開催日の前日の深夜、次々とパドックに運び込まれる凄いクルマ達を見て、それまでの不安がウソのように消え日本でも何とかなるという自信が湧いてきたのをよく覚えている。それから18年、会場はFUJI SPEEDWAYに移り名立たるヒストリックカーの海外流出も進んだが、熱心なエントラントの皆さんの変わらぬご協力でここまで続けることが出来た。今年は、一度もオイル漏れによるコースの整備もなく、これまでで一番スムーズな進行ができた。これも、皆さんのレベルが大幅に向上している、という事の証なのだろう。来年もお楽しみに。

 
11月17日
本誌の発売と時を同じくして、CLASSIC &SPORTSCAR JAPANの第3号と、そのWeb版がスタートする。特に注目はWeb版で、本国の深く掘り込んだ記事が1週間に1回、読むことができるようになる。更に、国内各地のイベントも詳細にレポートがアップされ、各種ヒストリックカーのデータも次第に充実させてゆくつもりだ。特に、すでに定評のある、スペシャルショップ・ナビもこちらにも掲載する予定である。ぜひ、こちらもお楽しみに。

 
 

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