クルマ漬けの毎日から
2015.02.24
ロナルド・バーカーの旅立ち
Memories of Ronald ‘Steady’ Barker
うれしいことに今週は、新型車の取材が多い。週明けの今日は、ロンドンからパリへ日帰りで出かけ、ルノーのトップ、カルロス・ゴーンが発表する新型クロスオーバー、カジャールを取材した。最近、魅力的な新型車に変わったモデル名がつけられていることがよくあるが、今回もそのパターンだ。その理由は、普通の名前はどれも、もうすでに採用されてしまっているからだ。1対1で短いインタビューをした時、驚いたことにゴーンは、この新型車の販売ポテンシャルについて話したがらなかった。もし私が彼の立場だったら、もう少し話をしただろうと思う。というのも、カジャールの見た目は素晴らしいし、そのプラットフォームは実績があり、しかも兄弟車となる日産キャシュカイの空前のヒットによってカジャールが魅力的なモデルであることがすでに証明されているからだ。
ゴーンのような人物へのインタビューは、神経がすり減るものだ。というのも、質問に対する彼の答えには、短い適切な言葉の中にたくさんの情報が詰まっているので、彼がたった今話した内容を続けるべきか、それとも新しい話題に移るべきかを判断するために全神経を集中させ、限られた時間を最大限に有効に使わなければならないからだ。このインタビューで本人から詳しい話を聞いて、ゴーンは目的に向かってはっきりと物事が見えており、彼がルーペを使って物を見ているとしたら、普通の人はコーラの瓶底で物を見ているくらいのちがいがあるように思えた。だが、このたぐいまれな業界の中心人物が、それほど遠くない時期にやってくる引退に、果たしてどう向き合って行くのだろうかと思わずにはいられない。
ロンドンのRAC(英国王立自動車クラブ)へ行き、アストンマーティンの新CEO、アンディ・パーマーの講演を聞いた。パーマーは、このクラブが年に一度開催しているウォルター・ヘイズ・メモリアル・レクチャーでアストンマーティン・オーナーズクラブを代表して講演した。パーマーは、アストンの未来を約束する一方で、CEOとして直面している課題を理解していると話した。会場の雰囲気から判断すると、150人の出席者(そのうち149人はアストンのオーナーだと思う)は感銘を受けていた。アストンマーティンは、現在創業開始から102年になるが、ボブ・ドーバー(嬉しいことに、この会に出席していた)とウルリッヒ・ベッツの指揮のもと、2000年から復活の道を歩み続けている。だが、アストンの黄金期は、まだこれからやって来ると私は感じている。実際、アストンマーティンとロータスの再生が進んでいることを考えると、たとえ気分が少し落ち込んでいる時でも、私はたちまち元気になれる。
クリスマス商戦の初日の金曜日を思い出してほしい。イギリスでは毎年この日、クリスマスプレゼントを買おうと、大勢の買い物客が殺到して争い、大混乱になる。この人たちと同じように、私はこのところずっと、欲しいものが果たして手に入るだろうかという心配をしている。私が手に入れたいのは、ランドローバー・ディフェンダーだ。ディフェンダーは私が生まれた頃に誕生したクルマだが、少なくともイギリス仕様の生産は、2015年末に終了する。今日、あらためてこのことを認識し、ショックを受けた。そして、私と同じように多くの人がこの一件に衝撃を受けて、一斉にディフェンダーを買い求めようとするのではないかと恐れている。
私の家族はこれまでずっと、ランドローバーと縁があった。私が初仕事に乗って行ったのは、ノンシンクロ・トランスミッションのシリーズ2だった。そしてちょうど同じ頃、妻は運転免許試験を受けていたが、狭い道で前進、後退、前進でクルマの向きを変える三点方向転換などの実地試験をシリーズ2で受けた。二人の息子たちは、シリーズ3のピックアップで運転を覚えた。そして、息子の一人は、かつてイギリス軍が所有していたオープントップのランドローバーにガールフレンドを乗せて、寒い中あちこち走り回っていた。その後、息子たちは二人ともランドローバーで働き始め、一人は今も働いている。だから、やはり私はディフェンダーを買うべきだろうか? その答えは、まちがいなく “イエス” だ。しかも急ぐべきだろう。
フィアットにとって極めて重要なBセグメントSUV、500Xのローンチ・パーティがロンドンで盛大に開催された。500Xは一部のマーケットでは、フィアットの販売を救っているシティカーの兄弟、500とパンダに匹敵する販売が予想されている。フィアットのボス、オリビエ・フランソワは、500とパンダは、ヨーロッパのAセグメント市場で1位と2位のクルマだと考えている。フィアットの経営陣は、セルジオ・マルキオンネを除いて皆このイベントに姿を見せていたが、なんといってもこの日の目玉は、マジシャンのダイナモだった。
※ダイナモは500Xをイメージから実際のクルマに変えて参加者を驚かせた。
ダイナモのパフォーマンスが印象的だったので、パーティのクライマックスで、この日の主役500Xから私たち参加者の関心は少しそれてしまったが、500Xは確かに前途有望に思えた。だが、そのいくぶん慎重で平凡なスタイリングを見て、現行500のハッチバックモデルが、現代のクルマの中でどれほど優れたデザインであるかを(フィアットに詳しい人たちが認識しているように)、再認識した。
友人であり同僚だったロナルド・”ステディ”・バーカーが最近亡くなった。今、彼の思い出が私の頭の中を駆け巡っているが、これはたぶん、ステディへの追悼文をいくつも読んだからだろう。先日、通勤時間帯のロンドンでフェラーリ308GTBを見かけ、かつて、あるクルマを探して、ステディと一緒に私のGTBでフランス、ベルギー、オランダをあちこち旅したことを思い出した。とんでもないクルマを慢性的に買い求めていたステディは、当時、ラフィートというオースティンセブンと同じくらいのサイズで3シリンダーの革新的なエンジンを搭載したクルマを所有していた。
この旅で、私たちはもう1台のラフィートを探し出し、それを私が買おうと計画していた。そうすれば、”英国ラフィート・オーナーズクラブ” を設立できると思ったからだ。駄洒落が大好きだったステディは、早くもこのクラブのモットーを “ラフィート・ファースト(「ラフィートを運転する時は、足から先に」の意味)” にしようと決めていた。クルマに夢中なふたりの大ばか者がフェラーリを走らせて、少々まぬけな内輪の目標を達成するために、4日間も旅をしたことを思い起こすと、懐かしさと同時にほのぼのした気持ちになる。
晩年のステディの大きな目標は、親友のアレックス・モールトンより長生きすることだった。ステディはアレックス・モールトンより2年ほど長生きして、望みを果たした。今頃、ステディとアレックスはどこかで再会し、スリーブ弁と相互連結サスペンションをめぐって口論しているのではないだろうか。
渋滞に巻き込まれないように早起きして、ロータスの本社(ノーフォーク州)へ行き、パドルシフトの新型エキシージSに試乗した。厳密には、このモデルは新型車ではないが、2ペダルのエキシージはこれまで存在しなかった。積極的にロータスをけん引するロータスのトップ、ジャン-マルク・ゲールは、このパドルシフトのエキシージSは、エキシージの生産台数を40%も押上げると見込んでいる。東アジア地域ではオートマチック車の需要が非常に強いからだ(ゲールは公約した販売拡大の第一ステージを達成しようとしている。ゲールの就任1年目の販売は、前年対比で63%上昇し、2000台を超える見込みだ)。試乗してみて、このエキシージSは、ノーフォークの古く状態の悪い道路を走るには完璧なクルマだとわかった。車重は1tにすぎないが、出力350psというパワフルなクルマを走らせていると、しっかり両手でホイールを握っている必要があるからだ。