社会人1年目、ポルシェを買う。

2016.04.09

第1話:空冷ポルシェに打ちのめされる。

AUTOCAR編集部に新卒採用され、1年が経とうとしていた平成生まれの男、上野太朗の一大決心。大借金の末に中古ポルシェを買うことにした。夢にまで見た、順風満帆のカー・ライフとなるか、あるいは地獄へ一直線か? どうか、あたたかく長い目で見守ってください。

1年前、AUTOCARの編集部に入社した。
ひとりの先輩が白いポルシェ911(930型のSC)に乗っていた。

30歳半ばに満たない先輩。
仕事終わりの「乗ってく?」の一言に、
興奮を必死に隠しながら助手席に腰をおろした。

何てったって、憧れのポルシェである。

硬いものと硬いものが噛みあうような
バシャン!という音とともにドアを閉じると、
コックピットはまるで真空になったかのように
耳がツンとなり、周囲の人の話し声や足音が遠のいた。

現代のクルマからおよそかけ離れた、初めての感覚だった。

2秒ほどのクランキングのあとにエンジンがかかる。
暖機のあとに、国道246号に滑りこんだ。
池尻大橋から首都高へ。
左への合流を済ませた直後、大橋JCTのトンネルのなかで、
先輩は一気にアクセルを蹴りこんだ。

後ろから車内に反響する
いかにも機械らしいバサバサと粒が大きかった憂鬱そうな音は、
回転があがるほどに、シャーーーンと高い音に変わり、室内を包んだ。

気の利いたことなどいえるわけもなく、
「すごいっすね……」というのがやっとだった。

そのあと、少しだけ運転させてもらった。
正直にいおう。助手席の方がよかった。

平成時代も序盤が過ぎたころに生まれたヘタレには、
まずアシストを一切してくれないステアリングが重すぎた。
それに、(3ℓにスケール・アップされているにもかかわらず)
発進もむずかしかった。

「回転はほんの少しあげてやるだけでいい。
そこからはクラッチのミートに集中してごらん」

頭ではわかっているけど、ついアクセルを煽りすぎてしまう。
すると、いつも乗るクルマ以上に針が速く動き、
そこで慌ててクラッチ操作をしてしまう。

今だからこそ冷静に書いているけれど、舞いあがっていた僕は、
なぜうまく発進できなかったのかが本当にわからなかった。

エンストさえした。

「いつかはこれを思うままに操ってやるんだ」なんていう、
ありがちな使命感なぞ湧いてこず
「ま、古いクルマだしな」と、不甲斐なさを揉み消してしまう始末。

だけど、
「週末の夜中はコレにのって横須賀のハンバーガー屋にいくんだ。
お店ではタコスを頼んで、ハンバーガーはお持ちかえり」

とか

「うしろのシートにあるブランケット
(鮮やかな赤のチェックで織りがとっても美しかった)は
デートのときに助手席の人が寒いと悪いからな」

などというストーリーが妙に心に残った。

「形態は機能に従う」とみずからが謳う、
華美であることを避けた、あくまで理詰めのデザイン。
後ろに載せたエンジンが、後ろから車体を押しだすという、
速く走るには決して有利とはいえないパッケージングを、
1948年の356/2.001から貫いているところがかっこいい。

詳しいことは僕のプロフィールをご覧になっていただきたいが、
学生時代、ちょっと変わったクルマを乗り継いだなかで、
マツダ・ロードスター→VWゴルフGTIに替えたときの印象も
ポルシェにベクトルが向いた一因になっているかもしれない。

2台ともポルシェとはまったく異なったクルマだけど、
スポーツとして設計/生産された前者の楽しさと、
(大衆車であるにもかかわらず)ドイツの製品の、
いかにも内部密度の高そうな
ガッシリとした後者の印象が混ざりあい、
「これがポルシェならばどうなんだろう?」とも思った。

僕が乗ったことがあるのは、
930が2台、993、986/987ボクスターのみ。
乗ったことがあるといっても、免許を取る前の助手席か、
免許をとってすぐ、ビクビクしながら乗ったごくわずかな時間だ。

ポルシェがいかにいいかを(本で読んで)知っているだけで、
体験としての実感がないに等しい。
後からバレることになるが、知識もほとんどありゃしない。
単にスゴイということを知っているつもりなのである。

本格的にポルシェに向き合ったのは、
やはりこの世界に就職してからだった。
編集長のガレージにはピカピカのポルシェが何台かあるし、
先輩も乗っている。
ジャーナリストの面々も、実はポルシェに乗っている
といったことが殊のほか多い。
クルマを専門とする人たちがポルシェを選んでいるのだ。

どうにもこうにも、僕はポルシェを買ってみたくなった。

 
 

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