まだまだ頑張る現役編集長の奮闘録
2020.12.14
【笹本編集長コラム】今年一番残念なご報告 メカニックの圓岡興司さんが逝去
90年代 お付き合いはさらに深まる
1990年代に入ると、私のイベント参加熱はヒート・アップし、松田芳穂さんとチームを組んで、国内でフェラーリ・チャレンジ・レースに3年間参戦し、海外では、チャレンジファイナルに2回、ミッレミリアに1994年から4回、ツール・ド・フランスに1回、ラグナセカに4回、フェラーリ250GTOツアーに1回(これは松田さんのお供)参加したが、全て、圓岡さんがチームに帯同してメカニックを努めてくれた。
これらのレースに使用したクルマは全てフェラーリで、348、355、275GTB、250GT SWB、500TRなどのメインテナンスをやってもらったが、本来のポルシェでは、松田さんから譲って頂いた356Bカレラアバルトのフルレストアを行っている。
このクルマは、ボディのレストアをピットーレ・ハヤシで行い、4カムエンジンのオーバーホールなどのメカ部分は圓岡さんにお願いした。
このカレラアバルトは、完成後、1999年のラグナセカのポルシェイヤーのレースに参加し、何と、日曜日のペブルビーチのコンクールにも招聘されたのである。
無論、国内のネコ・パブリッシング主催のイベントでは、モテギのレース・イベントや、ラリーのスイーパーなど全てに参加してもらい、近年はロータスF1 101やミナルディF1の走行時のメカも金井メカと共に携わってくれた。
近年はメカの仕事を少なくし、カメラ熱が盛んになり写真をずいぶんと撮っていた、と聞いていたが、突然の訃報に、まさかと本当に驚いた。
しかも、コロナ禍のご時世で家族葬となり、お別れも敵わなかったのは本当に残念であった。
今でも私のガレージで、2人で250GTのミッションを降ろしたり、356のエンジンを脱着した時の様子は、ありありと思いだす事が出来る。
圓岡さんがいたからこそ、私のクルマの様々な活動も安心してできたのであり、今となっては、度重なる海外遠征も楽しい思い出ばかりである。
圓岡さん、長い間、本当にありがとう、そして、ご冥福をお祈りいたします。