クルマ漬けの毎日から
2023.03.24
1983年3月にデビューしたオースティン・マエストロ。40年前のデビュー当時を振り返ります。
オースティン・マエストロ誕生40周年 あの時悲劇が始まった【クロプリー編集長コラム】
もくじ
40年前 期待の星
オースティン・マエストロは、40年前の3月1日にデビューした。
マエストロは室内スペースにゆとりがあり、ハンドリングの良いクルマだったことを思い出し、懐かしさを感じている。
いまとなっては皮肉な話だが、ブリティッシュ・レイランドはマエストロがデビューした1980年代初期に、この新型車はフォルクスワーゲン・ゴルフの強力なライバルになると考えていた。
また、AUTOCARも初期ドライブの結果、マエストロに成功の可能性を感じていた。それに、このクルマのエンジンとトランスミッションの組み合わせは、ブリティッシュ・レイランドの他のモデルよりもまずまず良かったのだ。
しかし、品質上の問題と、レベルの低い販売店に足を引っ張られ、マエストロはすぐにチャンスを逸してしまった。
だが、いまでも私には、マエストロのデビュー当時のことが懐かしく思い出される。
マエストロの数年前に小型車メトロが誕生した時、イギリスは良質なクルマをつくることができ、世界的にも競争力があるという見方が国内に広がっていた。そしてマエストロがデビューした時にも、まだそうした楽観的な雰囲気が残っていたのだ。
試乗会当日 土壇場の改良
とはいえ、マエストロは最終的には成功しないと、AUTOCARはうすうす感じていたはずだ。
私はスペインで行なわれたマエストロの発表試乗会に出席した。だがその日、スペインのホテルの外で、私たちジャーナリストは試乗会が始まるのを1時間ほど待つことになった。
発表直前になって、ブリテッシュ・レイランドのお偉方たちは、マエストロのスロットルスプリングはやわらかすぎると判断し、その変更を決定したのだ。
それで、運の悪いメカニックたちは、1列にずらりと並んだ試乗車の1台1台に改良作業を行なうことになった。
そして作業が完了し、いよいよ試乗会がスタート。
だが、参加者の1人が、勢い余ってマエストロを横転させてしまった。あの時から、マエストロの悲劇が本格的に始まったのだ。