まだまだ頑張る現役総編集長の奮闘録
2025.03.19
今回の笹本総編集長コラムは、笹本健次ファン待望のネコ・パブリッシング時代の裏話! 日本のクルマ好きのライフスタイルに大きな影響をもたらした月刊誌『ティーポ』と『デイトナ』。その創刊の裏側には驚きの駆け引きが行われていたのです。

【笹本総編集長コラム】大河ドラマを見て思い出した、雑誌ティーポの創刊事情
もくじ
ー 大河ドラマ『べらぼう』にネコの黄金期前夜を重ねる
ー 『ティーポ』の創刊と立ちはだかる取次の壁
ー コンビニとの駆け引きで一発逆転
大河ドラマ『べらぼう』にネコの黄金期前夜を重ねる
今年のNHK大河ドラマは、『べらぼう』というタイトルで、江戸時代に活躍した出版人、蔦屋重三郎の生涯を取り上げている。これまでの放送では、良い意味でNHKらしくない大胆な描写が続き、あのNHKがここまでやるか、と驚いている。
全体のストーリーも面白いが、私が注目しているのは、本の版元連中が蔦重を仲間に入れないように仕向け、それを見返すように蔦重が良い本を作って鼻を明かし、また、次の企画でやり返されるという企画の勝負を重ねている点が、正に私が出版業界に入ったころとそっくりで、わが事のように面白く見ている次第だ。
先ごろ、雑誌ティーポは創刊400号を迎え、記念のイベントも組まれたようだが、1989年に創刊した頃、私が経営していたネコ・パブリッシングは、クルマ雑誌のカー・マガジン、バイク雑誌のクラブマン、鉄道雑誌のレイル・マガジンを発行し、会社の基礎が出来上がった頃であった。
そのころ、ティーポの初代編集長になるはずの山崎憲治氏は、少年画報社から『ロードスター』という中綴じの、クルマを中心としたライフスタイル誌を発行し、業界から注目を集めていた。ところが、どういう訳かこの雑誌は6号で突如休刊となってしまい、時代を先取りした良い本だったのに、とライバル意識を超えてとても残念に感じた。
休刊してまもなく、或る人の紹介で山崎憲治氏(やまちゃん)と会う機会があり、何故かすぐに意気投合した我々は、当時、業界の先輩たちから「つぶしや憲ちゃん」などと揶揄されていた評判を、2人でひっくり返そうと、新雑誌の発刊計画を練り始めたのである。
体裁は中綴じで、『ロードスター』でやれるはずであったライフスタイル系のクルマ誌という編集方針はすんなり決まったが、タイトルはなかなかしっくりくるものが無く、さんざん悩んだ。しかし、最後は、環八沿いのファミレスで、やまちゃんが出したリストの中から、どうせイタフラがメインの本になるに決まっているから『Tipo(ティーポ)』の名がいいと思い、これに決定した。なぜか今でもこのシーンはよく覚えている。
『ティーポ』の創刊と立ちはだかる取次の壁

こうして月刊誌ティーポは1989年の6月6日に創刊したが、最初はかなり苦戦した。基本的に本は、書籍も雑誌も取次と言われる卸問屋に扱ってもらい、全国の本屋さんに配本してもらうのが業界のシステムである。
勿論、今はアマゾンなどから直販するルートもあるが、当時は全くなく、しかも、何万部も全国に配布する雑誌の場合、取次に頼るしか手立てが無かったのだ。
しかし、この取次に取り扱ってもらうのが大変なことで、一見さんが本を作りたいなどと言っても、まずは相手にしてくれないのである。
私も会社を興すときはかなり苦労をしたので、蔦重の話は良く判るのだが、その辺の事情は何れ詳しくする機会も有ろうかと思う。
ともかく、ティーポの創刊号は、取次と交渉のうえ或る程度の部数は配本できたが、なかなか売れず、発行部数もどんどん減らされ、創刊号から3号ほどで半分ほどの発行部数となってしまったのである。
このままでは、何れ廃刊にせざるを得ないと追い込まれ悩んだ私は、原点に戻り、若い人向けのマニアックなクルマ雑誌、すなわちカー・マガジンのジュニア版に編集方針を変更したらどうかと考えた。同時に編集経費を大幅にカットするアイデアを考え付いた。
第6号のテーマを『エンスー100のQ&A』とし、カー・マガジン編集部にあるポジ(写真)は全て使ってよいので、100枚の写真をアトランダムに選び、それをもとに、質問と回答を編集部で作れば、全体としてコストもかからず面白い企画になるのでは、と考えたのだ。
この方針変更は見事に当たり、部数は確実に反転した。表紙の写真も、それまで外国人モデルを使い、ロケ隊を繰り出していたのが、有りポジになり、殆ど費用はかからなくなったのである。
やまちゃんにはかなり抵抗されたが、今日まで至るティーポ誌の原形がここに完成したのである。苦し紛れであったが、苦しい時こそ、自分の得意な分野にフォーカスすることが大切だと今でもしみじみ思う。
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