フェラーリによる、フェラーリのための「聖地巡礼」 488スパイダーと166インテルとともに:前編

公開 : 2017.03.05 00:30

ゴードン・マーレー・デザインへ しかしなぜ?

われわれ次に向かったのはギルフォードに程近い、シャルフォードの工業団地だ。ここにはゴードン・マーレー・デザインのオフィスがある。マーレーはフェラーリ、とりわけF40の愛好家だが、それは訪問の理由ではない。

われわれの目的は、モスと同じく、フェラーリに助力を乞われたもうひとりの英国人への謝意を表すること。

それはモスからだいぶ先へ進んだ時代の人物で、その頃、旧態化したフェラーリは息も絶え絶えといった様相を呈し、F1チームは危機的状況にあった。

ドライバーズ・タイトルには長らくご無沙汰で、英国のマクラーレンをはじめとするライバルのペースに太刀打ちできずにいた。

マクラーレンの転機は、1981年に登場したカーボン・シャシーのMP4/1だ。このマクラーレンと、そのフォロワーたちは、レースの世界を一変させ、設計者であるジョン・バーナードは、マーレーと並ぶイノベーターという名声を得た。

マラネロもそれは重々承知で、バーナードを求めた。

問題は、バーナードがそれを望まなかったことだ。


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