フェラーリによる、フェラーリのための「聖地巡礼」 488スパイダーと166インテルとともに:後編

公開 : 2017.03.05 20:47

シルバーストンの ‘母殺し’

1950年に始まったF1グランプリは、アルファ・ロメオが圧倒的な強さで席巻していた。1.5ℓ直8スーパーチャージャーを搭載した158で、初年度のレースを全勝したのは今なお、語り種だ。これに初めて土を付けたのがフェラーリだった。

自動車メーカーとして歩み始めてから4年後の1951年、アウレリオ・ランプレディ設計の4.5ℓV12自然吸気を積んだ375F1は、フローリアン・ゴンザレスのドライブで跳ね馬に初のポール・ポジションをもたらす。

決勝レースでは、アルファ・ロメオ唯一の弱点ともいうべき燃費の悪さにつけ込み、その半分に給油のためのピットインの回数を減らすことで勝利した。

これが世に言う ‘母殺し’ であり、その舞台こそシルバーストンだったのである。

エガムを後にして、最終目的地まではしばしのロング・ドライブだったが、488の走りはその距離を忘れさせてくれた。

マラネロが初めて公道に送り出したV8ミッドシップ2シーターは、1975年の308 GTBで、3.0ℓの4カム・ユニットは259psを謳ったが、実際には230psそこそこだった。

現代のV8は排気量こそ3割増程度だが、ツイン・ターボで武装し、3倍近い670psを叩き出す。これは、あのマクラーレンF1すら凌ぐ数字だ。

しかもこの日は生憎の雨も降る空模様だったが、素晴らしいハンドリングを見せてくれた。まさに隔世の感である。

パワーを1949年製の166インテルと比較すれば、実に6倍以上だ。しかし、7番目に造られた166インテルは、英国に現存するフェラーリ最古のロードゴーイング・カーであり、希少価値は488スパイダーなど足元にも及ばない。

そう、終着点であるノーフォークの海岸は、フェラーリの歴史とは何ら関係のない場所だ。目当ては、この走る歴史ともいうべきクラシックV12モデルと対面することにほかならない。


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