アストン マーティンの歴史をめぐる旅:DB6からDBXまで(後編)
公開 : 2017.04.23 12:00
アストン・ファンは必見。その歴史を思い、ロンドンの最初の工房からウェールズの最新工場までを数台の素晴らしいモデルで辿りました。後編です。
DB7へゲイドンに向かう
後半、まず最初の局面は、ニューポート・パグネルからゲイドンへ。乗り込んだDB7 V12は個人所有者を借り受けたもので、2001年末に購入したという2002年式。
当時、オーナーはファクトリーに通い詰め、4日半に渡り自分のクルマが造られる全工程を写真に収め、工場の職人たちとも顔なじみになったという強者だ。
16年を経たDB7には、そんなオーナーの気性が反映されていた。塗装は今なお輝き、インテリアに傷みは見られず、機械面のコンディションなど新車以上といってもいい。サスペンションはGT仕様に、ホイールとタイヤは後期型のものに、それぞれ交換されている。
それは極上の個体だった。フラットライドで快適だが、おそろしく速い。とりわけ、発進加速はみごとだ。トランスミッションはオプション扱いだったZFの5段ATで、ステアリングホイール上のボタンで操作できる。オーナー曰く、いつもこのボタンでシフト・チェンジを行っているが、レスポンスは驚くほどいいという。確かにその通りだった。
昨今のDB7はアストンの気軽なエントリー・モデルとなっているが、今回のように程度が極めていい個体は価格が高騰しつつあり、今後も上昇が見込まれる。
DB7が現役だった頃は、アストンの幸せな時代でもあった。ボブ・ドーバーの指揮下で、わずかな生産規模で四苦八苦していたメーカーから、成功を収めたスポーツGTブランドへと変貌を遂げたのだ。
DB7は登場から10年で、それまでの最多となる7000台以上が世に送り出され、市場は拡がり、利益を得ることもできるようになった。
周知の通り、DB7のスティール製構造体はジャガーのそれをベースとしており、デザインはトム・ウォーキンショー率いるTWR在籍時のイアン・カラムが担当した。
エンジンは直6時代とV12時代があり、クーペとオープンのほか、ザガート製ボディも製作された。このクルマとフォードの出資がなければ、アストン マーティンは現在にまで永らえることは叶わなかったに違いない。そしてこれが、ゲイドンの新居でDB9開発に取り組める勢いにもなったのである。
そのDB9へ、ゲイドンへ向かう道中に乗り換えた。