回顧録(6) BMW 2002ターボに試乗 「マルニ」は今でも刺激的
公開 : 2017.08.20 17:40
いま見ても、シビレますね。「マルニ・ターボ」ことBMW 2002ターボを、いま敢えて乗ると、どんな印象なのでしょうか。挑発的な見た目に、恐るおそる近づいてみました。
もくじ
ーたたずむだけで、滲む「戦意」
ー「TURBO」の文字は悪の象徴?
ー当時のAUTOCARの評価
ー「2速まででほとんどの用は足ります」
ー2002、刺激的な中にも安心感
たたずむだけで、滲む「戦意」
BMW 2002ターボに正面から向き合うと、なにやら落ち着かない気持ちになる。
相手チームの選手を骨折させることを目論み、プロテクターで全身を固めたアイスホッケーの選手を連想させるからだ。
ヘッドライトの冷酷な眼差しが見る者を射抜き、挑発的な空気とともに睨んでくる。オーナーのスチュワート・ローソン氏が自分の1974年型の愛称を「フーリガン」にしているのもうなずける。
BMW 2002は、ディーター・クエスターが1969年のヨーロッパツーリングカー選手権のグループ5で優勝した時の284psの2002TIK(「K」はコンプレッサーを意味する)にその源流がある。
ターボが自動車産業において比較的新しい技術であったにもかかわらず、このドイツ人ドライバーは、2ℓクラスのタイトルを獲得する役に立つと考え、エバスペッヒャー製ターボチャージャーを装備した2002tiで1968年のタイトルを獲得したのである。
1970年代のヨーロッパツーリングカー選手権の新しい規則では、非ホモロゲーション・モデルのターボ車を除外すると定められていたため、294psの2002TIKは、あまり競争力を発揮できないグループ7に参加せざるを得なかったものの、クエスターのクルマに触発され、BMWのアレックス・フォン・ファルケンハウゼンがロードモデルを開発する契機になった。
3年に及ぶ開発期間を経て、2002ターボが1973年にフランクフルト国際モーターショーで発表された。
このクルマは、最先端技術の実用化に長けた高性能車メーカーとしてのBMWのイメージを高めただけでなく、その量産は、2002のターボエンジンのホモロゲーションにも役立ったのだった。
だが、残念ながら、計画通りにはいかない面もあった。