最初のル・マン・ウィナーとなったのは、アンドレ・ラガーシュ/ルネ・レオナール組のシュナール・ワルケル・スポーツ3ℓだった(写真左)。
1926年のスタート風景。この年の優勝は、昨年に引き続きロレーヌ・ディートリシュB3-6。
1927年。ベントレー・ボーイズ時代。サミー・デービス/ジョン・ベンジャフィールド組が優勝した。
1928年は、ベントレー4 1/2ℓのウルフ・ベルナートとベルナルド・バーキンが勝利。
ベントレー・チームの4台がル・マンを前にロンドンで記念撮影。
1900年代最後のベントレーの勝利。マシンはベントレー・スピード6。ドライバーはウルフ・バーナート/グレン・キッドストン。
1931年、ベントレー時代が遂に終わる。アール・ハウ/ティム・バーキン組のアルファ・ロメオ8Cが勝利を収めた。
1935年。それまで4年連続でル・マンを制していたアルファ・ロメオにストップをかけたのはラゴンダだった。
8年間の中断の後、戦後初のル・マンとなった1949年。勝利を収めたのは、ルイジ・キネッティ/ロード・セルスドン組のフェラーリ166MMだった。
1951年は、ピーター・ウォーカー/ピーター・ホワイトヘッド組のジャガーCタイプがタルボ・ラーゴを抑えて優勝。
ジャガーは1955年から1957年まで3連覇を果たした。そのうち2勝は、エキューリー・エコッセ・チームによるものだった。この写真は1957年。
1959年、アストン・マーティンDBR1による初勝利。ドライバーはキャロル・シェルビーとロイ・サルヴァドーリ。
1960年代はフォードとフェラーリで優勝を分け合った。これは1964年のフェラーリ275P。ドライバーは、ジャン・グーシェ/ニーノ・ヴァッカレラ。
フォードは1960年代、4勝を果たした。これは1968年に優勝したペドロ・ロドリゲス/ルシアン・ビアンキ組のGT40。
1970年。ポルシェが初勝利を果す。ハンス・ヘルマン/リチャード・アットウッド組の917K。
1972年。アンリ・ペスカローロ/グラハム・ヒル組のマトラ・シムカMS670がフランス・メーカーに勝利をもたらした(写真後方)。
1975年はガルフGR8フォードを駆ったデレク・ベルとジャッキー・イクス組が勝利。
1978年は4台体制で挑んだアルピーヌは、A442Bをドライブしたディディエ・ピローニとジャン=ピエール・ジョッソー組が優勝した。
1979年はクラウス・ルドウィク/ドン・ウィッティントン/ビル・ウィッティントン組のポルシェ935K3が勝利。
1981年から1987年まで936、956、956B、962Cといったマシンでポルシェが7連勝。写真は1985年に優勝したクラウス・ルドウィク/パオロ・バリッラ/ジョン・ウィンター組のヨースト・ポルシェ956B。
1987年のウィナーはロスマンズ・ポルシェ962。ドライバーはデレク・ベル/ハンス・ヨハヒム・シュタック/アル・ホルバート組。
1988年、シルクカット・ジャガーがポルシェを倒した。優勝はヤン・ラマース/ジョニー・ダンフリーズ/アンディ・ウォレス組。
メルセデスは1989年にザウバー・メルセデスC9でル・マン復帰。その最初の年に勝利を得た。ドライバーはヨッヘン・マス/マニュエル・ロイター/スタンレー・ディケンズ。
1990年は再びジャガーがル・マンを制す。 ジョン・ニールセン/プライス・コブ/マーティン・ブランドル組のXJR-12が優勝。
1991年。マツダが悲願の初優勝を果す。787Bを駆ったのはフォルカー・ヴァイドラー/ジョニー・ハーバート/ベルトラン・ガショー組。
1992年、1993年はプジョーが連勝。写真は1992年のマーク・ブランデル(左)とデレック・ワーウィック(右)。
1995年はマクラーレンF1GTRが勝利。ドライバーは、ヤニック・ダルマス、J.J.レート、そして初の日本人ル・マン・ウィナーとなった関谷正徳。
1996年から1998年まではポルシェが3連勝。これは1997年に優勝したTWRポルシェWSC95。ドライバーはミケーレ・アルボレート/ステファン・ヨハンソン/トム・クリステンセン。
1999年、BMW V12 LMRが優勝。燃料消費部門でも勝利を収めた。度合いバーは、ピエルルイジ・マルティニ/ヤニック・ダルマス/ヨアヒム・ヴィンケルホック。
2000年。アウディの時代が訪れる。この年からアウディ・スポーツ・チーム・ヨーストが3連勝。ドライバーもフランク・ビエラ/トム・クリステンセン/エマニュエル・ピッロという組み合わせのままだった。
アウディの4連勝を阻んだのはベントレー・スピード8。トム・クリステンセン/リナルド・カペッロ/ガイ・スミス組。
2009年、それまで5年連続して優勝していたアウディの行く手を阻んだのはプジョー980HDi-FAPだ。マーク・ジェネ/アレクサンダー・ヴルツ/デイビッド・ブラバム組。
昨年は、トヨタが一時トップに立つなど、アウディを追い詰めたが、マルセル・ファスラー/アンドレ・ロッテラー/ブノワ・トレルイエ組のR18 e-トロン・クワトロが勝利を得た。
今年で90回目を迎えるル・マン24時間レース。その勝者は、インディ500とモナコ・グランプリの勝者と共に、多大なる名誉が与えられてきた。ダカール・ラリーが6,000マイルの距離を争うイベントとなっているので、FIAが認めたで最も長いレースではなくなってしまったが、サーキットで戦われる最も長く耐久力を必要とするレースであることは間違いない。
その歴史のスタートは、1923年。勝者は3ℓのシュナール・ワルケルをドライブしたアンドレ・ラガーシュとルネ・レオナールだった。サルテ・サーキットは今と構成が異なったものだったが、ここから2つの伝統は現在まで引き継がれている。それはレースが6月に開催されることと、土曜日の午後にスタートすることだ。
その初期はアルファ・ロメオとベントレーが12のうち9つの勝利を収めた。しかし、1934年にハンサムなアルファ・ロメオ8C2300が勝利を収めたのが最後で、以降アルファ・ロメオの勝利はない。しかし、ベントレーは、73年ぶりの勝利を2003年、スピード8で飾っている。ちなみに、1930年に勝利したベントレー・スピード6の平均速度は122km/hだったが、2003年にベントレー・スピード8は214km/hであった。
第2次世界大戦後の1949年、フェラーリは140bhp、650kgの166MMで初勝利を収めた。
1953年以降、ル・マンはワールド・スポーツカー・チャンピオンシップに組み込まれることになり、よりメーカーの関心が高くなった。
この時代、アストン・マーティン、メルセデス・ベンツ、ジャガーなどが活躍した。特に、エアロダイナミクスに優れたジャガーCタイプ、Dタイプは幾つかの勝利を収めた。
激しい競争は、そのまま技術の進歩に繋がり、1950年代中頃には平均速度は遂に160km/hを越えることとなった。
この時代、ル・マンで最悪の事故が起こる。ピエール・ルヴェーのドライブするメルセデス・ベンツ300SLRが、ランス・マクリンのオースチン・ヒーレーを避けようとしてコース・アウト。83人の観客の命を奪った。
これを受けて、より厳しい安全対策が施され、それと同時にル・マンの平均速度は320km/hに近づいていくこととなる。
フェラーリは1960年代には6回の勝利を収める。そして、その時のウィニング・マシンは、コレクターズ・アイテムになっている。1960年と1961年にウィナーとなった250テスタ・ロッサは、現在7桁のポンドで取引がされている。
しかし1960年代の終わりに、フェラーリはその覇権を奪われる。代わりに台頭してきたのがフォードとポルシェだ。フォードはGT40がホモロゲートされると、4連勝を果たす。ジャッキー・イクスはアメリカの会社にル・マンでの勝利をもたらしたのだ。
ポルシェは917で1970年に初のル・マンでの勝利を果す。ヘルムート・マルコとジィズ・ヴァン・レネップが記録した平均速度は、222km/hだった。
シルクカット・ジャガーがXJR-9LMで1988年に勝利を上げるまでは、ポルシェのグループCカーが勝利を収めた。特に1981年から1987年までは7連覇という偉業を成し遂げている。
750bhp、7.0ℓV12エンジンを搭載したシルクカット・ジャガーは、17年間破られることのなかったポルシェが保持していた平均速度記録を上回った。
これ以降、平均速度が上がり続けたため、ミュルサンヌ・ストレートにシケインが設けられた。というのも、400km/hを超すトップ・スピードは、アクシデントがあった場合、確実にドライバーの命を奪うものとなるからだ。
1990年代には2つの記念すべき勝利があった。そのひとつはマクラーレンF1GTRによる勝利、そしてもう一つがロータリー・エンジンを搭載したマツダ787Bの勝利だ。マツダはル・マンで優勝した唯一の日本車メーカーである。
2003年のベントレーと、2009年のプジョーの勝利以外は、現代のル・マンはアウディが制している。R8や、初めてのディーゼル・モデルR10 TDIなどによって得た勝利だ。また2012年はハイブリッドであるR18 e-トロンが勝利を収めている。
トヨタがアウディを克服するスピードを見せない限り、この週末もアウディがレースを制するだろう。