フォード・シエラ・コスワース モンスターマシンのレシピ 当時のエンジニア訪問
公開 : 2019.06.23 07:50
フォードの常軌を逸したモンスターマシン、シエラ・コスワースをロードカーとして仕上げるまでの困難な道のりを取材しました。当時としては驚異的な動力性能に合わせたシャシーに仕上げるため、試行錯誤の繰り返しだったようです。
もくじ
ー 超高性能マシンを公道に
ー 最初はカプリの開発に
ー 複数の技術的課題を克服
ー 動力性能に合わせたシャシー
ー 繰り返す試行錯誤
ー RSの衝撃的な性能
ー 理想通りのラリーカーに
超高性能マシンを公道に
1960年代のモータースポーツ界は、どこか色あせたイメージがあるが、フォードのトータル・パフォーマンス・イニシアチブが成功へと導いたGT40やNASCAR、そしてレースやラリーの一連のセダンは例外と言っていいだろう。
それから20年後も、フォードは自社のスポーツ性を前面に押し出すべきだという信念を持ち続け、これを特殊車両開発部門(SVE)が担当した。
だが、高性能のシエラは、フォードが切実に必要としていた解決策となったのだろうか? 空想的なコンセプトが現実の生産ラインへと結実するまでにはあらゆる関係者の多大な労力を要したことを考えると、なおさらそう思ってしまう。
「わたしのフォードの開発エンジニアとしてのキャリアは1960年に始まりました」と、SVEの初代部門長、ロッド・マンスフィールドは語る。「余暇にオースティンA35バン、次にフォード・アングリア、コーティナ、さらにエスコートでレースに出走した経験が、1970年に先進車両部門(AVO)に参加した時に活きたんですね。エンジニアリングのスーパーバイザーに任命されました」