ジーリー 驚くべき成長物語 世界トップ10は目前 ロータスの今後も

公開 : 2019.08.03 18:50

冷蔵庫部品からスクーター製造を経て自動車メーカーへと成長したジーリーですが、世界の注目を集めたのは2010年、ボルボ買収に名乗りを上げたことがきっかけでした。世界トップ10入りは目前であり、そのさまざまな成長戦略からは今後も目が離せません。

もくじ

ささやかなスタート 冷蔵庫から自動車へル
独自の成長戦略 世界デビュー
ボルボ 買収と復活
CMAとLynk & Co
世界13位 ジオメトリーとプロトン
ロータスの価値 さらなる買収も?
電動化はチャンス これからも学び続ける
番外編1:Lynk & Co モータースポーツに参戦
番外編2:空飛ぶクルマも・・・
番外編3:ロータスのこれから

ささやかなスタート 冷蔵庫から自動車へ

ジーリーほど短期間でこれほどの成長を遂げた自動車メーカーなどほとんど存在しない。1986年創業にもかかわらず、いまや世界トップ10を窺うまでになった彼らにとって、中国語で「縁起がいい」とか「ラッキー」を意味するジーリーというブランド名は、非常に相応しいものだと言える。

当然ながら、その始まりはまったく目立たないものだった。創業者のリー・シューフーが大学を創業した1980年代初頭、中国の状況はいまとはまったく異なるものであり、徹底した共産主義国家として、自由な企業活動は大きく制限され、輸入される自動車もごく僅かな台数に留まっていた。

1985年になってもまだ、中国国内における自動車生産台数はわずか5200台であり、乗用車市場も年間10万台ほどの規模でしかなかったのだ。

リーも初めから自動車メーカーとしてスタートしたわけではなかった。観光客向けの写真撮影で創業資金を確保すると、浙江省で冷蔵庫用の部品製造を行う小さな会社を始め、その後、冷蔵庫本体の製造にまで乗り出している。だが、冷蔵庫の販売免許を失ったことで、スクーター生産を開始すると、すぐに中国で最大のスクーターメーカーへと成長している。だが、彼が本当にやりたかったのは、自動車メーカーになることだった。


ジーリー初の四輪モデルは奇妙な怪物とも言えるものだった。1995年頃に登場したこのクルマは、円形ヘッドライトを持つW210世代のメルセデスEクラスの影響が明らかであり、ほとんどそっくりなフロントマスクを与えられていたものの、中国第一汽車集団が生産する、ホールベースのはるかに短いアウディ100をベースにしていた。

この車両はファイバーグラスを用いたワンオフモデルだったが、ひとびとの注目を集めることには成功し、リーのもとには同じようなモデルを求める声が殺到することとなった。

その直後、彼は小さなトラックメーカー(貴重な製造ライセンスを保有していた)の経営権を握ると、1998年には、ダイハツ・シャレードのプラットフォームをベースに、メルセデスそっくりなラジエーターグリルを持つ、ジーリーHQをデビューさせている。

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