ドイツ自動車メーカー なぜニッチモデルを続々投入? モデル削減の方針も示唆 その理由

公開 : 2019.11.09 06:00  更新 : 2022.03.24 21:24

「4シリーズ」のはずなのに、ドアが4枚あったり、アウディQ3のクーペ版「Q3スポーツバック」が投入さりたり、メルセデス・ベンツGLC/GLEにクーペがくわわったり。ドイツ勢が隙間を埋めるかのように展開する理由は?

商品のバリエーションが少なすぎるという課題

text:Toshifumi Watanabe(渡辺敏史)

21世紀入りと相前後しての経済のグローバリゼーションの高まりに乗じて、いち早くビジネススタイルを大きく変えることとなったのがドイツの自動車メーカーです。

自ら生き残りをためには商圏の拡大が必至……という苦悩を抱えていた90年代、東西統一からの低賃金労働力流入、時同じ頃のユーロ圏構想や通貨統一といった、世界を向こうに回す環境が整い始めたという追い風もあって、彼らは合従連衡の波を作り、規模拡大にいそしみました。

初代BMW X5
初代BMW X5

その象徴的な一例は98年に誕生したダイムラー・クライスラーということになるでしょう。

一方で、世界市場を相手に規模拡大を図るに、ドイツの自動車メーカーは商品のバリエーションが少なすぎるという課題がありました。

最もわかりやすいBMWでいえば90年代後半の品揃えは3/5/7シリーズにZ3、そこにX5が加わって……と、そんなものでしょう。

プロダクトポートフォリオの側からみれば仕向地ニーズに応じてきめ細かく商品を設定するという、たとえば日本メーカーが当然のごとくやっていたようなことも彼らにとっては慣れない仕事だったわけです。

ちなみにBMW Z3やX5といった当時の新商品群が狙っていた市場といえば米国。そこでマツダトヨタが拓いたカテゴリーのトレースを目論んだといえば言いすぎでしょうか。

そして不退転で台数/規模拡大戦略に舵を切った彼らにとって、猛烈な追い風となったのが中国の台頭です。

最終的には40-45%を整理 展開に大なた

中国の台頭に乗じた21世紀以降の自動車市場の伸長は爆発的なものがあり、古くから中国に進出していたVWを足がかりに政策的にも繋がりが深かったドイツの自動車産業は多くの恩恵を受けます。

秋波を送られるもカントリーリスクもあってか二の足を踏むことが多かった日本の自動車産業も2000年代半ば以降、彼の地での攻勢に本腰を入れますが、時既に遅し。

Q4を名乗らなかった、Q3のクーペモデル。モデル名は「アウディQ3スポーツバック」
Q4を名乗らなかった、Q3のクーペモデル。モデル名は「アウディQ3スポーツバック」

世界最大規模を誇るVWグループでいえば全数の約4割が中国市場の販売が占めるという、共に切っては切れない関係を築いています。

と、先日「アウディがモデルラインナップの30%を削減へ」というニュースが流れました。

誰であろう英国のAUTOCAR編集部がアウディのブラム・ショットCEOから得たコメントが根拠になっています。

いわく、アウディは既に18年度の時点で各銘柄のグレードやトリムなどを27%整理したそうです。

その流れを維持しつつ最終的には40-45%を整理、そしてモデルラインナップ自体にも大なたを振るう覚悟であると。

ショットCEOはモデルラインナップ削減について「通常のモデルに加えてスポーツバックを併売する必要があるのか、特定のモデルについて議論を重ねている」と仰せです。

一方で直近でもQ4ではないQ3スポーツバックなどが出てくる辺りに?マークが並ぶわけですが、ショットCEOも就任1年目ですし、恐らくここまでの意気込みをもって臨んでいるなら、日本での商品群においても少なからぬ影響があるかもしれません。

記事に関わった人々

  • 渡辺敏史

    Toshifumi Watanabe

    1967年生まれ。企画室ネコにて二輪・四輪誌の編集に携わった後、自動車ライターとしてフリーに。車歴の90%以上は中古車で、今までに購入した新車はJA11型スズキ・ジムニー(フルメタルドア)、NHW10型トヨタ・プリウス(人生唯一のミズテン買い)、FD3S型マツダRX-7の3台。現在はそのRX−7と中古の996型ポルシェ911を愛用中。

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