ジャガーの名を体現した4ドアサルーン ジャガー・ヴァンデンプラスH.E.(XJ6サルーン)

公開 : 2019.11.30 19:50  更新 : 2021.10.09 22:43

今回振り返るのは、ジャガーXJ6サルーンです。ジャガーの創業者であるサー・ウィリアム・ライオンズにスポットを当てながら、各シリーズのサマリー、かの「ネコ脚」の秘密まで触れます。

創業社長は稀代のスタイリスト

photo:Koichi Shinohara(篠原晃一)

この記事をご覧になっている方にとって、ジャガーのスタイリング・イメージは2つに大別されるはずだ。

今回の主役である初代XJサルーンの低くてシャープなものか、2008年のXFで初めて示された現行のモダンなものか。

1968年にデビューしたジャガーXJ6。PHP 42Gのレジストレーションを掲げたこの個体はジャガーの創業社長にしてこのクルマをデザインしたサー・ウィリアム・ライオンズの愛車であり、現在はミュージアムに保管されている。
1968年にデビューしたジャガーXJ6。PHP 42Gのレジストレーションを掲げたこの個体はジャガーの創業社長にしてこのクルマをデザインしたサー・ウィリアム・ライオンズの愛車であり、現在はミュージアムに保管されている。

1968年に登場し、最後はディムラーの名前で1993年まで作り続けられた初代XJは、イギリス車らしい長寿モデルとして君臨した。

しかも初代XJの印象的なシルエットはそれ以降のジャガーのデザインに大きな影響を与え続けブランドの象徴となったのである。

ジャガーは創業当初より、スタイリッシュな自動車ブランドとしてあった。アメリカ豹を意味するジャガーという車名も、創業者の名前や地名にまつわるものではなく、響きの良い、敏捷性の高いクルマをイメージさせるものとして考え抜かれた結果だった。

ジャガーの創業者であるサー・ウィリアム・ライオンズに、経営者やエンジニアよりもスタイリストとしての才能があったことは明らかだ。

オースティンやウーズレーと言った大衆車のボディを瀟洒なものに載せ替えることで会社を立ち上げたライオンズは、1945年にジャガーという社名を発案している。

英国車が活況を呈した60年代の終わりに、初代XJサルーンの流麗なラインを描いて見せたのも彼自身だったのである。

ル・マン・ウィナーから受け継いだもの

デビュー当初、ジャガーXJ6と命名された新型サルーンの人気を支えたのは、ボディの前後が大きく絞られたスタイリッシュなシルエットだけではなかった。

その低いボンネットの下にはル・マン24時間を何度も制して見せたストレート6のツインカムが搭載されていたのである。

歴代のジャガーXJサルーンが一堂に会したプレスフォト。中央に縦に2台並んだ現行のXJ以外の全てのモデルが、ボディの前後が絞り込まれた初代XJの影響を強く受けている。現行XJのグリルは初代XJを模したもの。
歴代のジャガーXJサルーンが一堂に会したプレスフォト。中央に縦に2台並んだ現行のXJ以外の全てのモデルが、ボディの前後が絞り込まれた初代XJの影響を強く受けている。現行XJのグリルは初代XJを模したもの。

一方リア・サスペンションも、レーシング・モデル由来のものであり、直接的には2ドアのスポーツカーであるEタイプのものが流用される形になっていた。

I型のロワーアームとアッパーアームに見立てたハーフシャフトによってホイールを保持する方式はロータスのコーリン・チャップマンが開発したチャップマン・ストラットによく似ていた。

しかしそのIアームを2本のショックアブソーバーで支えるという贅沢な考え方はジャガー独自のものであり、このリアサスがスポーティでありながら懐の深いジャガー特有の乗り味、いわゆる「ネコ脚」を決定づけていたのである。

1996年にデビューした2ドア・クーペであるXK8や、一時同胞となったアストン マーティンDB7にもこのリアサスが採用されていたことでも、優秀性が証明されている。

記事に関わった人々

  • 執筆

    吉田拓生

    Takuo Yoshida

    1972年生まれ。編集部員を経てモータリングライターとして独立。新旧あらゆるクルマの評価が得意。MGBとMGミジェット(レーシング)が趣味車。フィアット・パンダ4x4/メルセデスBクラスがアシグルマ。森に棲み、畑を耕し蜜蜂の世話をし、薪を割るカントリーライフの実践者でもあるため、農道のポルシェ(スバル・サンバー・トラック)を溺愛。

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