【ワイルド・スピードの世界、実在した】日本車やドラッグレース、密接な関係 作風変更の背景

公開 : 2020.02.11 18:50  更新 : 2021.10.09 23:55

映画「ワイルド・スピード」。初作公開から20年も続く世界的人気作品になるとは!? と思う方も少なくない? 当時の制作背景のほか、「スパイ映画風」になっていった背景について、桃田健史がお届けします。

「ちょっと手を貸してくれないか?」

text:Kenji Momota(桃田健史)

ワイスピこと、映画「ワイルド・スピード」。待望のシリーズ9、2020年5月日本公開が決定した。

まさか、初作公開から20年も続く世界的人気作品になるとは!?

(c)2020 UNIVERSAL STUDIOS. All Rights Reserved…
(c)2020 UNIVERSAL STUDIOS. All Rights Reserved…

90年代末、ロサンゼルス周辺で行われた初作の撮影現場に居合わせた筆者(桃田健史)としては、ただただ驚くばかりである。

邦題「ワイルド・スピード」としているこの作品。

ご存知の方には釈迦に説法だが、原題は「Fast&Furious」という。Fastは速さ、Furiousとはバイオレンスなど同義で過激さを表す。

初作は「The Fast&The Furious」という表記で、ほとんどの撮影が行われたのは1999年だった。

場所は、米カリフォルニア州ロサンゼルスカウンティ(群)や、それより少し南部のオレンジカウンティである。

筆者はテキサス州ダラスを生活の中心としており、ロサンゼルスなど南カリフォルニアに定期的に飛行機で通っていた。

南カリフォルニアには自動車メーカーや自動車部品メーカーの拠点があり、各社との会合が多かった。

そうした付き合いの中で、ロサンゼルス近郊にあるアフターマーケット系の企業やショップから「ハリウッドで日系改造車が主体の映画を撮るという話がある。手を貸してくれないか」という話になった。

それが、ワイスピ初作だ。

では、なぜワイルド・スピードが企画されたのか?

そこには、いまでは到底考えられないLA界隈での社会状況があった。

「ワイスピ」=ほぼドキュメンタリー映画

きっかけは、アジア系の若いマフィアだった。

1990年代後半、南カリフォルニアで改造日本車が徐々に増えた。多かった車種は、シビックアキュラRSX(インテグラ)だ。

なぜ、FF(前輪駆動)ホンダだったのかといえば、南カリフォルニア在住のアジア系住民が80年代~90年代にシビックなどを購入し、90年代中盤頃から子どもたちに払い下げしたのだ。

アメリカでは走行距離10万マイル(16万km)が買い替えの目安となることが多い。そんなクルマで「思い切り遊ぼう」ということになり、アジア系マフィアたちが中核となり、夜間の市街地で、直線での加速を競うストリート・ドラッグレースが行われるようになった。

映画アメリカングラフィティからインスパイアされたのだ。

さらに、走りだけではなく、クルマのドレスアップも気にかけるようになり、最初は身内で愛車を見せあって自慢するようになった。

また「日本の東京オートサロンみたいなことをすれば、金になるかも?」という話になり、「ショー」と呼ばれる有料イベントが各地で行われるようになった。

だが、一部のショーでは、未成年者へのアルコール飲料の提供やドラッグの売買、また露出度が極めて大きい女性コンパニオンなど、違法性が高まった。

こうした社会情勢がワイスピ企画につながった。

記事に関わった人々

  • 桃田健史

    Kenji Momota

    過去40数年間の飛行機移動距離はざっと世界150周。量産車の企画/開発/実験/マーケティングなど様々な実務を経験。モータースポーツ領域でもアメリカを拠点に長年活動。昔は愛車のフルサイズピックトラックで1日1600㎞移動は当たり前だったが最近は長距離だと腰が痛く……。将来は80年代に取得した双発飛行機免許使って「空飛ぶクルマ」で移動?

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