【レアカーを一挙紹介】レトロモビル2020 世界的クラシックカーショーをレポート 前編

公開 : 2020.03.09 06:10  更新 : 2021.03.05 21:42

世界的なクラシックカー・ショー「レトロモビル」がパリで開かれました。熱烈なエンスージァストとして知られる岡田邦夫氏の視点で、今年の模様を2回に分けてご紹介しましょう。

クラシックカー冬の祭典

text&photo:Kunio Okada(岡田邦夫)

レトロモビルは、1年に1度開催されるクラシックカーの冬の祭典である。パリ市内南端にあたるポルト・ド・ヴェサイユにある広大な屋内展示場が舞台だ。

ポルト・ド・ヴェルサイユという地名は、19世紀半ばに防衛上の理由からパリ市街の周囲33kmに渡って城壁が造られ、そこに設けられた17の門の1つに由来する。やがて城壁を超えて砲弾が飛んで来るようになり、また飛行船や飛行機が発明されて空爆も開始されると、城壁の存在理由がなくなり、第1次世界大戦後に撤去されてしまう。

シトロエンは1922年にアルジェリアを出発してサハラ砂漠を初めて横断した無限軌道(キャタピラ)の軽量トラックを展示した。
シトロエンは1922年にアルジェリアを出発してサハラ砂漠を初めて横断した無限軌道(キャタピラ)の軽量トラックを展示した。

かつての城壁の跡に沿うように1973年に造られたのが環状高速道路「ペリフェリック」で、フランス各地へ伸びる高速道路のジャンクションがここに設けられた。ペリフェリックの内側には高速道路は存在せず、パリ市内は19世紀にオスマンによって造られた姿を留めている。

会場はペリフェリックに面しており、1号館と2号館を結ぶ通路はペリフェリックと同じ高さで、窓の向こうに並行して行き交うクルマたちの姿が眺められる。ともすれば渋滞している様が観察されるのだが……。

自動車文化の中心地で開催

自動車は、動力源が蒸気機関から内燃機関への転換とともに、実用化と普及が進んだ。パリという都市は、馬車の時代、蒸気機関の時代、内燃機関による自動車の時代と、その変遷の舞台だった。

自動車における多くの基本的技術はフランスで実用化された。エンジンを前部に置き、後輪を駆動するレイアウトはパナールが嚆矢で、ドライブ・シャフトはルノーが発明した。グレゴワールが研究した前輪駆動を普及させたのはシトロエンだった。

今回はイタリアからASIのベルトーネ・コレクションが多数持ち込まれた。こちらはアウトビアンキ・ラナバウト(左)とシボレー・ラマッロ(右)。ラマッロはイタリア語でヨーロッパ・ミドリ・トカゲを意味する。
今回はイタリアからASIのベルトーネ・コレクションが多数持ち込まれた。こちらはアウトビアンキ・ラナバウト(左)とシボレー・ラマッロ(右)。ラマッロはイタリア語でヨーロッパ・ミドリ・トカゲを意味する。

レトロモビルは、その自動車の120年を超える歴史の様々な断片をカレイド・スコープのように華麗に見せてくれる。自動車が育まれた、自動車文化の中心地であるからこそ、レトロモビルは、パリで開催される自明の理がある。

古典的名車に感動を覚える場所

レトロモビルの第1回目は1976年に開催されたので、今回で45回目となる。

その45年の間にも自動車の歴史は進んできたので、今では、最初にレトロモビルが開催された頃に登場したクルマもクラシックカー、すなわち、歴史的に評価される古典的名車になった。

SMはSport Maserati(スポール・マセラティ)のイニシャル。シトロエンは1968年にマセラティを傘下に収めていた。今回はフランスのカロシェによるエスパスなどの高級版が紹介された。
SMはSport Maserati(スポール・マセラティ)のイニシャル。シトロエンは1968年にマセラティを傘下に収めていた。今回はフランスのカロシェによるエスパスなどの高級版が紹介された。

レトロモビルとは、時間の経過とともに単に古くなったクルマを懐かしむ場所ではなく、美術館と同じで、先人が作り上げた古典的名車に、あらためて感動を覚える場所となっている。

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