適度な風格の「プアマンズ」ベントレー オースチン・シアライン ヴァンデンプラ・プリンセス(2)

公開 : 2024.01.28 17:46

ビートルズやボブ・ディランも選んだ上級サルーン、シアラインとプリンセス 適度な風格を求めた人に理想的 英国編集部が2台のクラシックをご紹介

適度な風格を求める人に理想的なモデル

ヴァンデンプラ・プリンセスは、細かな改良を何度も受けている。1950年にプリンセスIIがリリースされ、1953年にはフロントグリルの異なるプリンセスIIIへ交代。最高速度161km/hを誇る、プリンセスIV(DS7)が1956年に提供された。

ホイールベース3353mmのプリンセス・リムジン(DM4)は、1952年に登場。北ロンドンに構えたヴァンデンプラの工場で、1968年まで週2・3台のペースで製造が続いた。

ヴァンデンプラ・プリンセス A135 4リッター・リムジン(1952〜1968年/英国仕様)
ヴァンデンプラ・プリンセス A135 4リッター・リムジン(1952〜1968年/英国仕様)

合計3238台以上がラインオフし、ショーファードリブンのリムジンとして、充分な成功を収めたといえる。ベントレーアルヴィスに並ぶ魅力はなかったかもしれないが、政府や冠婚葬祭関連での需要は小さくなかった。

ロングホイールベースを活かし、定員は最大8名へ対応。信頼性が高く、内装は上品で装備は充実。適度な風格を求める人にとって、理想的なモデルになった。

ヴァンデンプラは、エアコンとパワーステアリングをオプション設定。ロールス・ロイス社製のセミ・オートマティックも選ぶことができ、4速コラムMTの操作の煩わしさからドライバーを開放した。

セレクタライドと呼ばれる、調整式ダンパーも用意。スライディング・ガラスによるキャビン・ディバイダーや、フロントフェンダーのフラッグポール、無線電話などの装備も可能だった。

クロームメッキのウインドウフレームが採用されたこと以外、モデル末期まで見た目に大きな違いはなかった。4灯ヘッドライトと、1枚もののフロントガラスへ置き換えられた程度だ。

4.0Lのオースチンとヴァンデンプラの代表例

1953年から1967年にかけては、キャビン後方がオープンのランドレーも合計14台作られ、ジャマイカやマルタ、オーストラリアなどへ届けられた。ウガンダの大統領も、メルセデス・ベンツ600へ乗り換えるまで、公用車にしていた。

今回ご登場願った2台は、4.0Lのオースチンとヴァンデンプラの代表的な例だろう。EX 7931のナンバーで登録された、アイボリーとブラックのツートーンは、A125型オースチン・シアライン。1953年に登録され、現オーナーはジョナサン・リード氏だ。

オースチン・シアライン A125(1948〜1954年/英国仕様)
オースチン・シアライン A125(1948〜1954年/英国仕様)

1974年に乗られなくなり、1980年代半ばにジョン・カミンズ氏が発見。レストアへ着手されるが、仕事を完了させたのは甥のコリン・カミンズ氏だった。仕上がりは見事で、現存するシアラインの中で、当時から最も美しい1台だったという。

リードが購入したのは3年前。彼はこの他に、シアラインを2台所有している。「父は以前から、シアラインの懐かしい話を聞かせてくれました。それが、強い関心を抱いた理由です」

他方、プリンセス・リムジン(DM4)は、シャーウッド・グリーンとブラックのツートーンに塗られ、葬儀社の社用車として初登録。その役目を終えるとオーナーが変わり、レンタル・リムジンとして多くの人を運んでいる。

1984年に、現オーナーのデビッド・グッディ氏の父が、ヴァンデンプラを専門に扱うクラシックカー・ディーラーで購入。20年ほど前まで、結婚式用のレンタル・ウェディングカーとして活躍した。今でも、その姿が維持されている。

記事に関わった人々

  • 執筆

    マーティン・バックリー

    Martin Buckley

    英国編集部ライター
  • 撮影

    マックス・エドレストン

    Max Edleston

    英国編集部フォトグラファー
  • 翻訳

    中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

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