メルセデス・ベンツ280GE レプリカ(2) ジャッキー・イクスの感じた風 1983年のダブル優勝

公開 : 2024.02.03 17:46

1983年のパリダカで優勝を掴んだ、ゲレンデヴァーゲン ツインカム直列6気筒は223psへ上昇 空力特性を高めたボディ 英国編集部がレプリカをご紹介

素晴らしい露出効果に繋がったダブル優勝

1983年1月1日、フランス・パリのコンコルド広場を、110台のオフロードバイクと209台のラリーカーが出発。容赦ないアフリカ大陸を目指す、20日間の大冒険が始まった。

ドライバーがジャッキー・イクス氏、コドライバーがクロード・ブラッスール氏のペアは、好調にルートをこなし、6日目のサハラ砂漠ではトップへ躍進。メルセデス・ベンツ280GEは速かった。ステージによっては、バイク・カテゴリーとの差を縮めるほど。

メルセデス・ベンツ280GE 1983年パリ・ダカール・ラリー仕様レプリカ(1982年式/欧州仕様)
メルセデス・ベンツ280GE 1983年パリ・ダカール・ラリー仕様レプリカ(1982年式/欧州仕様)

サハラ砂漠中央、危険なテネレ地域では砂嵐が起き、多くの選手を苦しめた。同じ280GEを駆る、ジャン・ピエール・ジョソー/ジャン・ダ・シルバと、アンドレ・トロサ/エリック・ブリアヴォワンヌ・ラダのペアが、追走を続けた。

しかし、ニジェールでイクス/ブラッスール・ペアの駆る280GEはパワーダウン。ゴールが迫るマリでは、亀裂が入ったフロントアクスルの交換へ迫られる。だが、後続との差は1時間ほどあり、追いつかれる前にサービスカーが対応。エンジンも新しくされた。

最終的に、イクス/ブラッスールのペアが1983年のカー・カテゴリーで優勝。トラック・カテゴリーでも、メルセデス・ベンツ1936 AKが優勝を果たしたことで、ドイツブランドの強さを証明しただけでなく、素晴らしい露出効果にも繋がった。

1982年式280GEをベースにレプリカ製作

かくしてパリ・ダカール・ラリーの注目度は高まり、1984年は3.2Lエンジンに四輪駆動を組み合わせたポルシェ911が優勝。1985年には959を投入するも、三菱パジェロで1・2フィニッシュを遂げた。プジョーも、ワークス態勢で1990年代を戦っている。

以降、パリダカの競争は一層激しくなり、勝つには特注のラリーレイド・マシンが必要になっていった。ゲレンデヴァーゲンは、上位へ食い込むことすら難しくなった。

メルセデス・ベンツ280GE 1983年パリ・ダカール・ラリー仕様レプリカ(1982年式/欧州仕様)
メルセデス・ベンツ280GE 1983年パリ・ダカール・ラリー仕様レプリカ(1982年式/欧州仕様)

1983年に優勝した280GEは売却され、1985年と1986年のパリダカには、プライベート・チームから参戦している。V8エンジンへスワップされて。しかし、その後の消息はわかっていない。

失われた伝説的なゲレンデヴァーゲンへ、2007年に注目したのが、カーマニアのヨルグ・サンド氏。メルセデス・ベンツ側も優勝マシンのシャシー番号を記録していなかったものの、1982年式280GEをベースにした、レプリカの製作が始まった。

その年式の生産数は200台程度と少なく、状態の良い1台を選出。1年間をかけて、細かい部分まで再現されていった。また、メルセデス・ベンツも積極的に協力。アーカイブ資料を共有したほか、燃料タンクの設計や搭載位置など、技術的な支援も行った。

オリジナルのマシンに載っていた唯一の部品、ステアリングホイールも提供。同社の博物館やカーイベントへ出展できる、本物へ限りなく近い水準が目指された。

記事に関わった人々

  • 執筆

    アーロン・マッケイ

    Aaron McKay

    英国編集部ライター
  • 撮影

    マックス・エドレストン

    Max Edleston

    英国編集部フォトグラファー
  • 翻訳

    中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

メルセデス・ベンツ280GE レプリカの前後関係

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