フランスから米国車が発売? 美しきV8スポーツクーペ「コメット」 50年代の名車
公開 : 2024.01.31 18:05
・米国の自動車メーカー、フォードがフランスで美しいクーペを生産していた。
・1950年代に誕生したV8エンジン搭載車。当時のレビューは非常に好意的。
美しくも無名なクーペ
フォードという自動車メーカーは、実にユニークかつ魅力的に「分裂」してきた。
北米、オーストラリア、欧州、ブラジルの各部門がそれぞれ独立性を保ちながら、まったく異なるモデルを生産しているのだ。過去には英国とドイツの部門もあった(英国人は一時期、3社のフォードから新車を買うことができた)。
国や地域に応じて独立部門を置き、現地のニーズに沿った商品を作るというのは企業としてよくあることだ。ただ、フォードほど多面的かつ明確に展開するメーカーも珍しいのではないだろうか。
今となっては奇妙に思われるかもしれないが、かつてはフランス・フォードなる部門も存在し、富裕層向けに美しいV8スポーツクーペを生産していた。
1952年6月27日には、本誌AUTOCARもそのクーペに試乗している。しかし、このモデルのことをきちんと語るには、まず1934年まで時計の針を戻さなければならない。
フランスに進出する米国メーカー
当時は英ダゲナムに欧州最大規模の自動車工場が完成したばかりで、アイルランドとドイツにも同様に近代的な工場があった。それでもフォードは飽き足らず、さらなる事業拡大を計画していた。
パリの工場が小さかったことと、新たに導入された保護主義的な輸入税から、このところフランスでは苦戦を強いられていた。そこで、ストラスブールに大規模な工場を持っていながら経営危機に陥っていたフランスのメーカー、マティスに目をつける。
1934年10月に両社の合弁事業としてマットフォードが設立された。責任者にはモーリス・ドルフュスという人物が選ばれた。
フォードはストラスブール工場の近代化に巨費を投じ、1935年に故郷の名を冠したセダン、アルザス(Alsace)を発表した。シャシーと3.6L V8は米国製で、ボディ(米国向けのモデル48から派生)は著名な部品サプライヤーであるショーソンから調達した。インテリアは独自のものであった。
当時としては強力な89psというエンジン出力のために高い税金が課され、幸先の悪いスタートを切ったが、翌年に59psの2.2L V8を搭載したショートホイールベース・モデルを追加することで、すぐに状況を打開した。
アルザスの販売が軌道に乗り、フォードはポワシー近郊にエンジン生産のための鋳造工場を建設し始めた。1939年9月3日、ポーランド侵攻を受けてフランスがドイツに宣戦布告するまでは、未来は明るいと思われた。