トヨタ・エスクァイア

公開 : 2014.11.25 23:50  更新 : 2022.12.12 21:30

■どんなクルマ?

ペリーとその艦隊が江戸湾の浦賀にやってきたのは、嘉永6(1853)年6月3日の午後2時頃のことであった。

江戸は暑い、暑いさかりであった。

司馬遼太郎の『世に棲む日日』(文春文庫)では、そういうことになっている。若き日の吉田松陰、といってもかれは29歳でその生涯を閉じるのだが、は黒船を見るために品川から三浦半島の東先端にある浦賀まで駈けに駈けた。もしかれが、このときタイムスリップして、161年後の11月某日、浦賀に現れたらなんと言ったか。トヨタエスクァイアの試乗会が開かれていた。

エスクァイアは、トヨタの国内市場のドル箱であるノア/ヴォクシーのデラックス版である。現行クラウンのような名古屋趣味のグリルをつけ、ダッシュボードの一部とシート、内張りを合成皮革で覆って、15万円高で売る。尊王攘夷のマイルド・ヤンキー向けファミリー・カーといえるかもしれない。

松蔭はおどろいたにちがいない。当たり前である。江戸時代から平成の御代にタイムスリップし、幕府はすでになく、長州というものも存在しない。ただ、時の首相が、実際は東京で育ったわけだが、その本籍地を山口県に置いており、公式サイトに「美しい国、日本」とあるのを知れば、感激のあまり涙をはらはらと流したかもしれない。この時代の人は現代人より情が濃かった。よく泣いたらしい。浦賀水道を黒船よりもはるかに巨大な白い客船やらコンテナ船やらが行き来している。前面に鎧をつけたかのような面妖な四角い箱が、音もなく舗装された道路を走っていたりもする。トヨタ・エスクァイアである。

機械的にはノア/ヴォクシーと寸分違うところのないエスクァイアは、2ℓガソリン+CVTと1.8ℓガソリン+モーターのハイブリッド、2種類のパワートレインからなる。筆者が最初に乗ったのはハイブリッドであった。高級車というものは静かなことをひとつの売りにしてきた。しかるにプリウスが世に出てからというもの、電気モーターで動いている限り、ハイブリッドの静かさはロールズ・ロイスV12もかなわぬほどであろう。と書いてみましたが、いまやそういうことは常識である。エスクァイアもまたしかり。乗り心地は雲上歩くがごとし。ボディはかようなハコ型であるにもかかわらず、プリウスなんぞよりも剛性感が高く感じられる。

記事に関わった人々

  • 今尾直樹

    Naoki Imao

    1960年岐阜県生まれ。幼少時、ウチにあったダイハツ・ミゼットのキャビンの真ん中、エンジンの上に跨って乗るのが好きだった。通った小学校の校長室には織田信長の肖像画が飾ってあった。信長はカッコいいと思った。小学5年生の秋の社会見学でトヨタの工場に行って、トヨタ車がいっぱい載っている下敷きをもらってうれしかった。工場のなかはガッチャンガッチャン、騒音と金属の匂いに満ちていて、自動車絶望工場だとは思わなかったけれど、たいへんだなぁ、とは思った。

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