70年生き抜いた「ベルトーネ」スパイダー アルファ・ロメオ・ジュリエッタ(2) 試作と思えない完成度

公開 : 2024.03.10 17:46

量産モデルと勘違いするほど高い完成度

ダッシュボード中央にシンプルなボタンが並び、ライト類とアクセサリーを操作できる。ステアリングコラムにシフトレバーはなく、センタートンネルから伸びている。トラディショナルなアルファ・ロメオ的に。

小さなイグニッションキーをひねると、1290ccのツインカム4気筒エンジンが目覚める。ボリュームは大きくないが、咳き込むようなドライな唸りは耳障りが良い。回転上昇は、明らかに鋭い。

アルファ・ロメオ・ジュリエッタ・ベルトーネ・スパイダー(プロトタイプ/1955年)
アルファ・ロメオ・ジュリエッタ・ベルトーネ・スパイダー(プロトタイプ/1955年)

発進させると、クーペのジュリエッタ・スプリントと雰囲気は近い。軽いアルミニウム製ボディをまとい、走りは活発といえ、操縦系はソリッドで反応は正確。スポーツカーとしては、拍子抜けなほど快適性も高い。

同時期の英国製ロードスターのように、路面の凹凸へ身構える必要はなし。職人が手作りしたワンオフのプロトタイプではあるが、量産車と勘違いするほど完成度は高い。

切り落とされたフロントガラスを越え、優しい風が髪をなびかせる。イタリアの大地を北上し、アルプス山脈を抜け、フランスの平原を目指すようなグランドツアーを想像せずにいられない。空を映す湖には、ラグジュアリーなボートが浮かんでいるはず。

この素晴らしい1台は、有能なコーチビルダーの技術と情熱的なデザイナーの想像力を蒸留するように、丁寧に生み出された。アルファ・ロメオとベルトーネ、両社の歴史へ名を刻む道標的なスパイダーとして、今でもマニアの気持ちを刺激するプロトタイプだ。

協力:クリストフ・プンド氏、ラ・ギャラリー・デ・ダミエ社

番外編:量産を実現したルドルフ・フルスカ

アルファ・ロメオ・ジュリエッタの設計を率いたのは、オラツィオ・サッタ・プリーガ氏とジュゼッペ・ブッソ氏という2人。だが、その製造責任者を務めたのは、フェルディナント・ポルシェ氏の元で経験を積んだルドルフ・フルスカ氏だった。

グリフィス・ボルジェソン氏の著書「アルファ・ロメオの伝統」の中で、ルドルフが1日250台というジュリエッタの量産を達成させたことへの記述がある。「フォルクスワーゲンでの目標は1日1000台でした。わたしも、この大量生産の計画へ参画したんです」

アルファ・ロメオ・ジュリエッタ・ベルトーネ・スパイダー(プロトタイプ/1955年)
アルファ・ロメオ・ジュリエッタ・ベルトーネ・スパイダー(プロトタイプ/1955年)

「フェルディナント・ポルシェ氏は、アメリカ・ディアボーンを訪問。フォードの創業者、ヘンリー・フォード氏にプロジェクトへの意見を求めています。計画への適任者や、ドイツへの移動に興味を持っている技術者がいないか、質問もしていました」

「フォードの協力を得て、30名のチームがドイツへ赴任。わたしも、多くのことを学びました。彼らは、議論で無駄に時間を費やすようなことはなく、自らのやり方に確信を持っていました。戦争が起きなければ、良いクルマができていたでしょう」

戦後、ルドルフはアルファ・ロメオへ出向。ポルシェとフォードから得た経験が、ジュリエッタの生産に活かされることとなった。当初から量産は問題なく進められ、成功が導かれたのだった。

記事に関わった人々

  • 執筆 / 撮影

    セルジュ・コーディ

    Serge Cordey

    英国編集部ライター
  • 翻訳

    中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

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