ゼロから? いいえマイナスからの復活劇 津波で水没したランチア・デルタは、どうよみがえったのか

公開 : 2024.03.07 11:45  更新 : 2024.03.07 13:30

・2011年に東北地方をおそった大津波により被災したランチア・デルタが復活へ
・完全水没という困難な状況、一度は断念も今春の完遂をめざし再始動
・東北の地まで自走してのお披露目を第一目標に、今後はイタリア本国への里帰り計画も

大津波に飲み込まれたのは「名車」ランチア・デルタ

突然の大地震、津波警報の発令、押し寄せる濁流。ここに、大災害の猛威にさらされ、水没の憂き目に遭った1台のランチア・デルタがある。東北地方をおそった悲劇から丸13年を目前にした昨年12月、ついにエンジンに火が入れられた。そして、イタリア車整備の名門・クイックトレーディングの手により、近日中には再び車検を取得し、路上復帰を果たすというのだ。まさに「奇跡の復活」をとげたデルタの軌跡を追いかけたい。

AUTOCARの読者には、ランチア・デルタというクルマについて今さら説明は不要だろう。世界ラリー選手権の参戦ホモロゲーション獲得のために登場した「HF 4WD」に端を発する一連のモデルがよく知られているところだ。今回取り上げるクルマは「HFインテグラーレ16VエボルツィオーネIIコレツィオーネ」という、日本でのみデリバリーされた長い名前の最終限定車。

津波による水没からの復活をめざすデルタと、クイックトレーディング寺島社長
津波による水没からの復活をめざすデルタと、クイックトレーディング寺島社長    香野早汰

冒頭で述べたようにこのデルタは、2011年3月11日、東北地方太平洋沖地震による大津波に巻き込まれた。東北の太平洋側の広い範囲に被害がおよぶ中、このデルタは宮城県石巻市で被災したのだった。

甚大なダメージゆえ一度は断念も、レストア開始のワケ

津波により車体は天井まで泥水混じりの海水につかり、クルマへのダメージは計り知れない。当時のオーナーは仙台のショップに修理を依頼したがとても手に負えず、最終的にクイックトレーディングの寺島社長のもとにやってきたが、当時は解体前提だったという。

というのも、2011年当時はデルタそのものがまだ現在ほど高騰しておらず、中古車の流通価格は200〜300万円台にすぎなかった。なにより、クルマへのダメージが深刻だったことが大きい。

ボディワークを終えたデルタ。この後もレストアは順調に進み、完成が見えたかに思われた。
ボディワークを終えたデルタ。この後もレストアは順調に進み、完成が見えたかに思われた。    クイックトレーディング

「毛細管現象により、クルマの配線の隅々まで海水が浸透してダメにしてしまう。旧いクルマの水没ではそれが痛い」と寺島社長は語る。修理には、ざっと見積もってもデルタ3台分ものコストが掛かるとされたという。

こうして修理が諦められたデルタは「しのびないから、置いておいた」と寺島社長が言うように、敷地の一角で部品取り車として10年近くの月日を過ごした。そこに転機が訪れたのは、2018年のこと。

当時、東北の復興のために尽力していた寺島社長の後輩と社長とが、互いに意気投合。「復興へのシンボルとして、震災から10年の節目にこのデルタがまた日の目を見てほしい」そんな想いのもと、2021年の完成を目指し、寺島社長はデルタをレストアするプロジェクトへの着手を決意されたそうだ。

クイックトレーディングはイタリア車のスペシャルショップである。板金工場にてボディワークを終えたデルタは、蓄積されたノウハウと豊富なストックパーツにより、とんとん拍子にレストアが進行。しかし、ここでまた、運命のいたずらが。

記事に関わった人々

  • 執筆

    香野早汰

    Hayata Kono

    1997年東京生まれ。母が仕事の往復で運転するクルマの助手席で幼少期のほとんどを過ごす。クルマ選びの決め手は速さや音よりも造形と乗り心地。それゆえ同世代の理解者に恵まれないのが悩み。2023年、クルマにまつわる仕事を探すも見つからず。思いもしない偶然が重なりAUTOCAR編集部に出会う。翌日に笹本編集長の面接。「明日から来なさい」「え!」。若さと積極性を武器に、日々勉強中。

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