上質さを極めた「第3」のビッグサルーン プジョー604 TI デイムラー・ソブリン S2 4.2(1)

公開 : 2024.03.30 17:45

ドイツ勢へ挑んだ、ジャガーとプジョーの対抗馬 上質さでベンチマークにあったXJ6 新型V6エンジンが開発を後押しした604 1970年代の上級サルーンを英国編集部が比較

新型V6エンジンが開発を後押しした604

1970年代半ばには、現在へ進化系を残す欧州の上級サルーンがほぼ出揃っていた。第一次オイルショックで販売不振に陥っていたものの、利益率は低くなく、ブランドイメージの向上を狙える重要なセグメントになっていた。

優勢なポジションにあったのは、やはりドイツ勢。メルセデス・ベンツは以前から定評を築いていたが、BMWの実力も急速に上昇。正しい姿勢でクルマ作りをすれば、事業拡大も可能なことを証明した。

ブルー・シルバーのプジョー604 TIと、マルーンのデイムラー・ソブリン S2 4.2
ブルー・シルバーのプジョー604 TIと、マルーンのデイムラー・ソブリン S2 4.2

伝統ある上級ブランドを複数擁する英国では、ジャガーが孤軍奮闘。ローバーの期待の星、3500は、それまでの評判が簡単に崩れてしまうことを、周囲へ示してしまった。

同時期のフランスでは、排気量2.8L以上のクルマに罰金と思えるような重税が課され、エグゼクティブ・サルーンと縁がなかった。それでも、経済が冷え込んでいた1970年代に、2社が挑戦。プジョー604 SLとルノー30 TSが、1975年にデビューしている。

604と30の開発を後押ししたのが、前年にボルボと共同で生み出された、オールアルミの2.7L V型6気筒エンジン、PRV(プジョー・ルノー・ボルボ)ユニット。新しいシトロエンCXへ対抗する意味もあった。

コンパクトなPRVユニットは、チェーン駆動のシングル・オーバーヘッドカム(SOHC)で、バンク角は90度。当初はV型8気筒を計画していたが、高騰する原油価格の影響を受け、2気筒が削られた。そのため、点火順序は理想的とはいえなかった。

504と共有することで開発期間は8か月

ルノーやボルボ以上に、調整でエンジンの洗練性を高めたのがプジョー。常用のシングルチョーク・キャブレターと、高負荷時用のツインチョーク・キャブレターを組み合わせ、滑らかな加速を引き出した。

ひと回り小さい、プジョー504譲りとなるフロントエンジン・リアドライブのレイアウトを包んだのは、ピニンファリーナ社によるシャープなスタイリング。全長は260mm長く、ホイールベースは約50mm伸ばされた。

プジョー604 TI(1975〜1985年/英国仕様)
プジョー604 TI(1975〜1985年/英国仕様)

バルクヘッドにドア、フロアパンなどは、基本的に504と共有。サスペンションや駆動系も流用され、高効率化が図られた。その結果、604の開発は8か月で済んだといわれ、競争力の高い価格を実現していた。

走行時の振動や騒音を巧みに抑制したのが、エンジンとデフをケースで結んだトルクチューブ。リアのセミトレーリングアーム式サスペンションは、ロードノイズを抑えるため、ブッシュの設計に時間が割かれた。

ブレーキは前後ともディスクで、パワーウインドウを標準装備。ステアリングラックはラック&ピニオン式で、パワーアシストが備わった。レザーシートとエアコン、ヘッドライト・ワイパーは、オプションとして用意された。

ただし、2.7L V6エンジンの最高出力は137psと控えめ。4速MTを巧みに操っても、燃費は6.4km/Lに留まった。

記事に関わった人々

  • 執筆

    マーティン・バックリー

    Martin Buckley

    英国編集部ライター
  • 撮影

    マックス・エドレストン

    Max Edleston

    英国編集部フォトグラファー
  • 翻訳

    中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

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