【追悼】マルチェロ・ガンディーニの遺した名車を振り返る 50選 前編 伝説の自動車デザイナー、逝く
公開 : 2024.03.16 18:05
マセラティ、フィアット、BMW、ランボルギーニなど数多くのデザインを手がけた故マルチェロ・ガンディーニ氏。その多才ぶりを写真とともに振り返る。
もくじ
ー多作にして多才 自動車デザインの巨星
ーランボルギーニ・ミウラ(1966年)
ーポルシェ911ロードスター(1966年)
ージャガーFT 3.8(1966年)
ーBMW E3(1966年)
ーアルファ・ロメオ・モントリオール(1967年)
ーフィアット125エグゼクティブ(1967年)
ーランボルギーニ・マルツァル(1967年)
ージャガー・ピラーナ(1967年)
ーランボルギーニ・ミウラ・ロードスター(1968年)
ーアルファ・ロメオ・カラボ(1968年)
ーランボルギーニ・エスパーダ(1968年)
ーフィアット128クーペ・ショッピング(1969年)
ーアウトビアンキ・ランナバウト(1969年)
ーランチア・ストラトスHFゼロ(1970年)
ーランボルギーニ・ハラマ(1970年)
ーランチア・ストラトス(1971年)
ーシトロエン・カマルグ(1972年)
ーBMW 5シリーズ(E12、1972年)
ーアウディ50(1972年)
ーフィアット X1/9(1972年)
ーNSUトラピーズ(1973年)
ーランボルギーニ・ウラッコ(1973年)
ーランボルギーニ・エスパーダ4ドア(1973年)
ーフェラーリ・ディーノ308 GT4(1973年)
多作にして多才 自動車デザインの巨星
2024年3月13日、伝説的な自動車デザイナー、マルチェロ・ガンディーニ氏が85歳で逝去した。
トリノ出身のガンディーニ氏は、1960年代半ばに著名なデザイン会社ベルトーネに在籍し、ランボルギーニ・ミウラ、ランチア・ストラトス、フェラーリ308/GT4などのデザインを担当し、名を馳せた。
独立後もさまざまなメーカーと協業し、数多くのコンセプトカーと市販車を世に送り出してきた。自動車デザインに与えた影響は計り知れない。
ここでは、ガンディーニ氏とその偉大な仕事に敬意を表し、彼の最高傑作を50台紹介する。
(マルチェロ・ガンディーニ、1938年8月26日トリノ生まれ、2024年3月13日リボリ没)
ランボルギーニ・ミウラ(1966年)
ガンディーニ氏がミウラをデザインしたのは、ジョルジェット・ジウジアーロ氏の後任としてデザイン会社ベルトーネで働いていたときだった。これが少々物議を醸しており、ジウジアーロ氏はミウラの開発の一部に関わっていると主張したが、ガンディーニ氏とランボルギーニはこれを否定している。
ポルシェ911ロードスター(1966年)
このクルマは、ポルシェのカリフォルニア州の販売代理店であるジョニー・フォン・ノイマンに依頼されたものだ。2シーター・コンバーチブルの需要に期待し、1966年のジュネーブ国際モーターショーでコンセプトカーが発表されたが、その反響は寂しいものだった。
ジャガーFT 3.8(1966年)
外観からは判断が難しいが、ジャガーFT 3.8のベースとなったのはSタイプである。
イタリアのジャガー輸入業者であるフェルッチオ・タルキーニ(車名の「FT」の由来)の依頼で、モダンなルックスを持つ高級4人乗りクーペを販売する計画だった。しかし、1966年のジュネーブ国際モーターショーで披露された後、今度はジャガー420のプラットフォームをベースに、もう1台だけ製作された。
BMW E3(1966年)
BMWは1960年代半ば、経営破綻を回避するために改革を余儀なくされていた。まず「ノイエ・クラッセ」というセダンが登場し、その上にコードネーム「E3」と呼ばれるニュー・シックスが置かれた。
当初の計画では、排気量1.8Lまたは2.0Lの4気筒エンジンを搭載することになっていたが、1968年の生産開始時には2.5Lから3.3Lの6気筒エンジンが採用された。