【追悼】マルチェロ・ガンディーニの遺した名車を振り返る 50選 前編 伝説の自動車デザイナー、逝く
公開 : 2024.03.16 18:05
アルファ・ロメオ・モントリオール(1967年)
1967年、カナダのモントリオールで万国博覧会が開催され、これを記念してアルファ・ロメオはベルトーネに2台のコンセプトカーのデザインと製作を依頼した。その概要は、「自動車という分野において、人類の究極の願望を表現する」というものであった。
結果、1.6Lのジュリア・スプリントをベースにした無名のクーペが誕生した。万博へ出展されると来場者やメディアの間で大評判となり、量産化を熱望する声が上がった。そして1970年、2.6L V8エンジンを搭載する市販バージョンが登場。しかし、販売台数は4000台に満たず、1977年に生産終了した。
フィアット125エグゼクティブ(1967年)
ガンディーニは、ノーズからテールまでウエストラインを通す必要はないと考えた。伝統にとらわれず、トランクリッドを高くして積載性を高めたクルマを考案し、1967年にフィアット125エグゼクティブを発表した。そのスタイリングは当時としてはかなり過激なものだったが、一部の要素は後の市販車にも採用された。
ランボルギーニ・マルツァル(1967年)
シルエットは特に奇抜なものではなかったが、ディテールは間違いなくクレイジーだ。スラット付きのリアウインドウから、全面ガラス張りのガルウイングドア、ガラスルーフに至るまで、固定概念にとらわれない想像力豊かな作品である。
1967年に発表されたマルツァルは、ミウラの4.0L V12エンジンのハーフバージョン、2.0L直6エンジンを搭載している。
ジャガー・ピラーナ(1967年)
ベース車がジャガーEタイプであることを、実にうまく隠している。ピラーナは、アールズコート・モーターショーのメインスポンサーでもあったデイリー・テレグラフ紙の依頼で製作されたもので、1967年に堂々と見出しを飾った。
ベルトーネに与えられた設計・製作期間はわずか5か月で、予算は2万ポンドだったという。モーターショーが終わると売却され、現在では米国の個人の手に渡っている。
ランボルギーニ・ミウラ・ロードスター(1968年)
1968年、ベルトーネがブリュッセル・モーターショーに初出展するとき、観衆をあっと言わせるような展示物を求めていた。ミウラのロードスター仕様については、1966年のミウラ発表当時から考えられていたという。
フロントガラスとリアルーフは低くなり、Cピラーのエアインテークスラットも拡大され、リアスポイラーとテールライトも再設計された。ワンオフのまま、量産化には至っていない。