【追悼】マルチェロ・ガンディーニの遺した名車を振り返る 50選 前編 伝説の自動車デザイナー、逝く

公開 : 2024.03.16 18:05

アルファ・ロメオ・カラボ(1968年)

奇抜なコンセプトカーといえば、ベルトーネがアルファ・ロメオ・ティーポ33をベースに開発したカラボを紹介しないわけにはいかない。

シザーアクションドア、極端なウェッジプロファイル、ポップアップ式ヘッドライトなど、非常に未来的なスタイリングである。最高出力230psの2.0L V8をミドマウントしており、かなり速かったと予想される。

アルファ・ロメオ・カラボ(1968年)
アルファ・ロメオ・カラボ(1968年)

ランボルギーニ・エスパーダ(1968年)

ランボルギーニ誕生後わずか5年で、2シーター(ミウラ)、2+2(400GT)と並び、4人乗りのエスパーダが販売されていた。

前述のマルツァルから派生したエスパーダは、ビッザリーニ設計のV12エンジンをフロントに搭載し、最高出力325ps、5速MT、後輪駆動方式を採用。最高時速は250km/hで、当時の4人乗りとしては世界最速だった。1978年まで合計1217台が生産された。

ランボルギーニ・エスパーダ(1968年)
ランボルギーニ・エスパーダ(1968年)

フィアット128クーペ・ショッピング(1969年)

フィアット初のフロントエンジン・前輪駆動車である128は、同社にとって大きなターニングポイントとなった。

ガンディーニ氏はFF車のメリットを活かし、トランクの下に格納できるスライド式のショッピングカートやベビーカーを考案したが、このアイデアが世に出ることはなかった。

フィアット128クーペ・ショッピング(1969年)
フィアット128クーペ・ショッピング(1969年)

アウトビアンキ・ランナバウト(1969年)

フィアットは1965年に登場したリアエンジンの850スパイダーの後継車として、1969年のトリノ・モーターショーでミドエンジンのコンセプトカーを発表し、消費者の反応をテストした。

スピードボートの形状にインスパイアされたランナバウトには、買収後間もないアウトビアンキのバッジが付けられた。ランナバウトは大好評を受け、フィアットX1/9として量産化が決定したが、かなりの部分が変更されている。

アウトビアンキ・ランナバウト(1969年)
アウトビアンキ・ランナバウト(1969年)

ランチア・ストラトスHFゼロ(1970年)

あまりにも非現実的なウェッジシェイプは、遠い夢のような不思議な魅力を秘めている。どんな言葉をもってしても、このデザインを説明することは難しい。

ランチア・フルビアから流用した1.6L V4エンジンを搭載し、鋭いノーズには10個の超スリムなヘッドライトが並び、リアには84個のバルブが光のリングを作り出す。2011年に76万1600ユーロで売却され、現在は個人の手に渡っている。

ランチア・ストラトスHFゼロ(1970年)
ランチア・ストラトスHFゼロ(1970年)

ランボルギーニ・ハラマ(1970年)

よほどのランボルギーニ好きでない限り、イスレロの後を継いだハラマ(400GT 2+2の後継車でもある)を知る人はほとんどいないだろう。

ノーズには3929ccのV12が搭載され、部分的に隠れたヘッドライトからリアウィンドウ上の小さなスポイラーまで、端正なディテールが散りばめられている。1970年から1976年の間にわずか327台が販売された希少車である。

ランボルギーニ・ハラマ(1970年)
ランボルギーニ・ハラマ(1970年)

記事に関わった人々

  • 執筆

    AUTOCAR UK

    Autocar UK

    世界最古の自動車雑誌「Autocar」(1895年創刊)の英国版。
  • 翻訳

    林汰久也

    Takuya Hayashi

    1992年生まれ。幼少期から乗り物好き。不動産営業や記事制作代行といった職を経て、フリーランスとして記事を書くことに。2台のバイクとちょっとした模型、おもちゃ、ぬいぐるみに囲まれて生活している。出掛けるときに本は手放せず、毎日ゲームをしないと寝付きが悪い。イチゴ、トマト、イクラなど赤色の食べ物が大好物。仕事では「誰も傷つけない」「同年代のクルマ好きを増やす」をモットーにしている。

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