【追悼】マルチェロ・ガンディーニの遺した名車を振り返る 50選 前編 伝説の自動車デザイナー、逝く

公開 : 2024.03.16 18:05

ランチア・ストラトス(1971年)

当時、ランチア・フルヴィアがラリーで好成績を収めていたが、ポルシェ911アルピーヌA110といったライバルに苦戦を強いられるようになった。

そこで必要とされたのが、最初からラリーカーとして作られたストラトスである。フェラーリ246GT “ディーノ” と同じ2.4L V6を搭載したストラトスは、1972年11月にモータースポーツデビューを果たす。1974年までにロードレースとラリーを席巻し、1974年、1975年、1976年に世界ラリー選手権を制覇した。

ランチア・ストラトス(1971年)
ランチア・ストラトス(1971年)

シトロエン・カマルグ(1972年)

シトロエンGSをベースとするカマルグは、ベルトーネとシトロエンの初の協業によって生まれたモデルである。基本的にはGSの2+2版という提案であり、実用性にはあまりこだわらないスタイル重視の若いバイヤーをターゲットに、1972年のジュネーブ・モーターショーで初公開された。

しかし、直後にシトロエンの経営が傾くと、1974年にプジョーが株式を取得。1976年に両社が合併してPSAが誕生した。

シトロエン・カマルグ(1972年)
シトロエン・カマルグ(1972年)

BMW 5シリーズ(E12、1972年)

初登場から46年を経た今もBMWの定番である5シリーズ。その血統はここから始まった。1960年代にBMWを窮地から救ったノイエ・クラッセに代わる次世代車である。

4気筒と6気筒のガソリンエンジンを搭載し、セダンボディのみ導入された。後に、現代のM5の原型となる高性能モデル、M535iも登場した。

BMW 5シリーズ(E12、1972年)
BMW 5シリーズ(E12、1972年)

アウディ50(1972年)

1960年代後半から1970年代初頭にかけて、欧州中の自動車メーカーは猛烈な勢いでハッチバックに力を入れていた。前輪駆動の人気はますます高まる一方で、フォルクスワーゲンとアウディはこのトレンドに乗り遅れないよう、家族向けのFFハッチバックを開発しようとしていた。

その手始めとして、イタルデザインがフォルクスワーゲン・ゴルフを、ベルトーネがアウディ50の製作を依頼された。アウディ50は、まもなくフォルクスワーゲン・ポロとしても販売されることになる。

アウディ50(1972年)
アウディ50(1972年)

フィアット X1/9(1972年)

前述のアウトビアンキA112ランナバウトから派生したX1/9は、フィアット初の手頃なミドエンジン・スポーツカーとして新風を巻き起こした。当初は1.3Lエンジンを搭載し、後に1.5Lが追加された。総生産台数は約16万台に達する。

フィアット X1/9(1972年)
フィアット X1/9(1972年)

記事に関わった人々

  • 執筆

    AUTOCAR UK

    Autocar UK

    世界最古の自動車雑誌「Autocar」(1895年創刊)の英国版。
  • 翻訳

    林汰久也

    Takuya Hayashi

    1992年生まれ。幼少期から乗り物好き。不動産営業や記事制作代行といった職を経て、フリーランスとして記事を書くことに。2台のバイクとちょっとした模型、おもちゃ、ぬいぐるみに囲まれて生活している。出掛けるときに本は手放せず、毎日ゲームをしないと寝付きが悪い。イチゴ、トマト、イクラなど赤色の食べ物が大好物。仕事では「誰も傷つけない」「同年代のクルマ好きを増やす」をモットーにしている。

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