【追悼】マルチェロ・ガンディーニの遺した名車を振り返る 50選 前編 伝説の自動車デザイナー、逝く

公開 : 2024.03.16 18:05

NSUトラピーズ(1973年)

NSUトラピーズは、1968年の欧州カー・オブ・ザ・イヤーを受賞したNSU Ro80をベースにしている。ロータリーエンジンと前輪駆動を特徴とし、鋭く突き出たフロントガラスと顕著なウェッジシェイプなどはランチア・ストラトスから流用した。しかし、ストラトスとは異なり、トラピーズはエンジンをリアアクスル上に搭載している。

フロントシートを車体中央に置き、小型エンジンを挟むようにリアシートをオフセット配置することで、広大なレッグルームを確保した。しかし、この奇抜なアイデアは流行らなかった。

NSUトラピーズ(1973年)
NSUトラピーズ(1973年)

ランボルギーニ・ウラッコ(1973年)

1970年のトリノ・モーターショーで公開されたウラッコは、3年かけて発売にこぎつけた。しかし、最高出力220psのミドシップ2.5L V8エンジンの性能と信頼性は期待外れであった。

250psを発揮するウラッコP300も導入されたが、低品質に悩まされ、消費者が離れてしまった。ウラッコは1973年から1979年の間にわずか791台しか生産されていない。

ランボルギーニ・ウラッコ(1973年)
ランボルギーニ・ウラッコ(1973年)

ランボルギーニ・エスパーダ4ドア(1973年)

エスパーダの後継車開発の必要性に迫られたランボルギーニだが、一から新規開発する余裕はなかった。そこで、ガンディーニ氏はエスパーダの進化版を考案することにした。

その結果、ホイールベースを4インチ延長し、ポップアップ式のヘッドランプを備えた4ドア・クーペが誕生した。しかし、残念なことに、図面の域を出ることはなかった。

ランボルギーニ・エスパーダ4ドア(1973年)
ランボルギーニ・エスパーダ4ドア(1973年)

フェラーリ・ディーノ308 GT4(1973年)

エンツォ・フェラーリがフロント以外の場所にエンジンを載せることに反対したのは有名な話だ。しかし、ミウラがミドシップ・スポーツカー革命を起こすと、さずがに目を向けざるを得なくなった。

1968年に206 GT “ディーノ” が誕生し、1973年にはフェラーリ初のミドシップV8である308 GT4が登場した。その後複数のモデルが続いたが、1993年のモンディアルの終焉とともにミドシップ4シーターに見切りをつけた。

フェラーリ・ディーノ308 GT4(1973年)
フェラーリ・ディーノ308 GT4(1973年)

(記事は後編へ続きます)

記事に関わった人々

  • 執筆

    AUTOCAR UK

    Autocar UK

    世界最古の自動車雑誌「Autocar」(1895年創刊)の英国版。
  • 翻訳

    林汰久也

    Takuya Hayashi

    1992年生まれ。幼少期から乗り物好き。不動産営業や記事制作代行といった職を経て、フリーランスとして記事を書くことに。2台のバイクとちょっとした模型、おもちゃ、ぬいぐるみに囲まれて生活している。出掛けるときに本は手放せず、毎日ゲームをしないと寝付きが悪い。イチゴ、トマト、イクラなど赤色の食べ物が大好物。仕事では「誰も傷つけない」「同年代のクルマ好きを増やす」をモットーにしている。

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