【追悼】マルチェロ・ガンディーニの遺した名車を振り返る 50選 後編 伝説の自動車デザイナー、逝く
公開 : 2024.03.16 18:25
マセラティ、フィアット、BMW、ランボルギーニなど数多くのデザインを手がけた故マルチェロ・ガンディーニ氏。その多才ぶりを写真とともに振り返る。
もくじ
ーランボルギーニ・カウンタック(1974年)
ーマセラティ・カムシン(1974年)
ーランボルギーニ・ブラボー(1974年)
ーイノチェンティ90/120(1974年)
ーマセラティ・クアトロポルテII(1974年)
ーフィアット・ビジターバス(1975年)
ーランボルギーニ・シルエット(1976年)
ーフェラーリ308GTレインボー(1976年)
ーアルファ・ロメオ・ナバホ(1976年)
ージャガー・アスコット(1977年)
ーランチア・シビロ(1978年)
ーボルボ・ツンドラ(1979年)
ールノー5ターボ(1980年)
ーマツダ・ルーチェ(1981年)
ーシトロエンBX(1982年)
ールノー5 Mk2(1984年)
ーチゼータV16T(1988年)
ーマセラティ・シャマル(1989年)
ーランボルギーニ・ディアブロ(1990年)
ーデ・トマソ・パンテーラSi(1991年)
ーブガッティ035(1991年)
ー日産AP-X(1993年)
ーマセラティ・クアトロポルテIV(1994年)
ーデ・トマソ・ビグア(1996年)
ーストーラS81(2000年)
ーストーラS86ディアマンテ(2005年)
ランボルギーニ・カウンタック(1974年)
(この記事は後編です。カウンタック以前の作品については前編で紹介しています)
ドラマチックな外観を持つ市販車といえば、1971年のジュネーブ・モーターショーでコンセプトカーが発表されたランボルギーニ・カウンタックに勝るものはない。
ミウラの4.0L V12を受け継ぎ、1974年に生産が開始されたときも、その輝きは変わらなかった。1990年に最終型が登場する頃には、排気量も5.2Lに拡大された。
マセラティ・カムシン(1974年)
マセラティの過去40年の歴史でおそらく最も車高の低いカムシンは、ボーラと同じ4.9L V8エンジンを搭載している。ただし、ボーラがミドシップなのに対し、カムシンではフロントに積んでいる。これは、MTとATを選べる2+2として、後方にスペースを確保するためであった。
1974年から1982年まで、合計435台が生産された。
ランボルギーニ・ブラボー(1974年)
1970年代初頭、ベルトーネとランボルギーニは緊密な関係にあった。ベルトーネはトリノ・モーターショーで、ウラッコのホイールベースを切り落とし、2シーターとしたブラボーを出展した。
コンセプトカーではあるが、ランボルギーニの最高出力300psの3.0L V8エンジンを搭載し、実走行が可能だった。どこを見ても素晴らしいディテールが施されていたが、悲しいことに、量産化は実現しなかった。
イノチェンティ90/120(1974年)
ランブレッタのスクーターで知られるイノチェンティは、1961年から1976年までミニをライセンス生産していたことでも有名だ。1972年には、ブリティッシュ・レイランドが同社を完全に傘下へ収めている。
イノチェンティは2気筒750ccエンジンを搭載した新型車の開発に取り組んでいたが、ブリティッシュ・レイランドが関与すると、代わりに998ccまたは1275ccのAシリーズ・エンジンを採用。その結果、モダンでスタイリッシュな90/120が誕生した。
マセラティ・クアトロポルテII(1974年)
初代クアトロポルテは、マセラティにとってかなりの成功を収めた。1974年に新型のクアトロポルテII(QPII)が発表されたが、当時シトロエンの傘下にあったことから、前輪駆動のSMをベースに、3.0L V6の搭載が計画されていた。
その後、シトロエンが財政的に行き詰まり、マセラティはデ・トマソに売却される。QPIIはわずか十数台しか生産されず、欧州以外の地域で販売された。
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