【追悼】マルチェロ・ガンディーニの遺した名車を振り返る 50選 後編 伝説の自動車デザイナー、逝く

公開 : 2024.03.16 18:25

ルノー5 Mk2(1984年)

550万代も売れた初代ルノー5の後継車を作るにあたって、コンセプトを維持しつつ、時代に合わせてリフレッシュすることが求められた。ガンディーニ氏は、初代のミシェル・ブエ氏のデザインをうまく1980年代にマッチさせた。

エアロダイナミクスを改善し、ボディシェルを強化し、グラスエリアを20%増やした。初代ほどのインパクトはなかったが、それでも販売面で大成功を収めた。

ルノー5 Mk2(1984年)
ルノー5 Mk2(1984年)

チゼータV16T(1988年)

1980年代後半、世界経済は絶好調だった。かつてないほど富裕層が増え、その需要を満たすために高級車メーカーが雨後の筍のように続々と誕生した。

その1つが、ミュージシャンのジョルジオ・モロダー氏が出資し、伝説的な自動車エンジニア、クラウディオ・ザンポーリ氏によって設立されたチゼータだった。究極のスーパーカーを作るべく、ガンディーニ氏がデザインしたボディにV16エンジンを “横置き” で搭載し、最高出力560ps、最高速度328km/hを謳った。

チゼータV16T(1988年)
チゼータV16T(1988年)

このスペックだけで、あらゆるライバルを打ち負かしたと言っていいだろう。しかし、チゼータが解散するまでにわずか20台ほどしか生産されなかった。

マセラティシャマル(1989年)

1970年代にシトロエンからマセラティを買収したデ・トマソは、BMW 3シリーズの対抗馬を作ることで販売台数を伸ばそうとした。その結果、信頼性が低く、高価で、見た目も平凡なビトゥルボが誕生した。

ビトゥルボの売れ行きは悪く、1980年代の終わりには、経営難に陥ったマセラティの株式の49%をフィアットが取得していた。その後、ビトゥルボをベースに、最高出力330psに強化した高級2ドア・クーペのシャマルが作られた。残念ながら、1989年から1996年の間に生産されたシャマルはわずか369台だった。

マセラティ・シャマル(1989年)
マセラティ・シャマル(1989年)

ランボルギーニディアブロ(1990年)

カウンタックの後を引き継いだディアブロは、見た目は少し丸みを帯びたかもしれないが、中身は変わらずモンスターだった。初期の5.7L車は最高出力485psを誇るが、2001年の生産終了時には排気量6.0L、最高出力575psに達した。

ランボルギーニ・ディアブロ(1990年)
ランボルギーニ・ディアブロ(1990年)

デ・トマソ・パンテーラSi(1991年)

デ・トマソ・パンテーラが初めて世に出てから20年後、ガンディーニ氏による復刻版が発表された。「Si」と名付けられたこのモデルは、オリジナルの構造、ドア、窓ガラスはそのままに、その他の部分を可能な限り最新のものに変更している。

ソフトなラインながらも重厚感のあるルックスで、パンテーラは見事に生まれ変わった。しかし、わずか44台しか生産されず、そのうち4台はコーチビルダーのパヴェッシによってタルガに改造された。

デ・トマソ・パンテーラSi(1991年)
デ・トマソ・パンテーラSi(1991年)

記事に関わった人々

  • 執筆

    AUTOCAR UK

    Autocar UK

    世界最古の自動車雑誌「Autocar」(1895年創刊)の英国版。
  • 翻訳

    林汰久也

    Takuya Hayashi

    1992年生まれ。幼少期から乗り物好き。不動産営業や記事制作代行といった職を経て、フリーランスとして記事を書くことに。2台のバイクとちょっとした模型、おもちゃ、ぬいぐるみに囲まれて生活している。出掛けるときに本は手放せず、毎日ゲームをしないと寝付きが悪い。イチゴ、トマト、イクラなど赤色の食べ物が大好物。仕事では「誰も傷つけない」「同年代のクルマ好きを増やす」をモットーにしている。

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