【追悼】マルチェロ・ガンディーニの遺した名車を振り返る 50選 後編 伝説の自動車デザイナー、逝く

公開 : 2024.03.16 18:25

ブガッティ035(1991年)

1980年代後半にロマーノ・アルティオーリ氏がブガッティを復活させたとき、4名のデザイナーに特別なスーパーカーを提案するよう依頼した。その4名とは、パオロ・マルティン氏、ジョルジェット・ジウジアーロ氏、ヌッチオ・ベルトーネ氏、そしてマルチェロ・ガンディーニ氏である。

選ばれたのはガンディーニ氏のデザインだった。角ばったドラマチックな造形で、4台のプロトタイプが作られた後、EB110へ発展していくことになる。しかし、プロトタイプ(写真)はガンディーニ氏の作品であったが、EB110はジャンパオロ・ベネディーニ氏が手がけた。

ブガッティ035(1991年)
ブガッティ035(1991年)

日産AP-X(1993年)

1990年代初頭、非常に近未来的なスポーツカーが日産から登場した。AP-Xだ。S-13型シルビア、あるいはZ32型フェアレディZの後継車として発売されてもおかしくなかった。

フロントに3.0L V6を搭載し、CVTを介して後輪を駆動する。ハッチバックの実用性と驚くほど保守的なインテリアを備えたAP-Xだが、残念ながら日の目を見ることはなかった。

日産AP-X(1993年)
日産AP-X(1993年)

マセラティクアトロポルテIV(1994年)

ガンディーニ氏が提案したクアトロポルテII(QP II)は失敗に終わったが、第4世代のクアトロポルテ(QP IV)のデザインは成功だった。それまでのクアトロポルテがメルセデス・ベンツSクラスのような高級路線を目指したのに対し、QP IVはスポーツセダンのシェアを独り占めしていたBMW M5に対抗するものだった。

ギブリIIのプラットフォームの拡張版をベースにしたQP IVは、最高出力290psの2.8L V6ツインターボを搭載し、後に最高出力340psの3.2L V8ツインターボも登場した。

マセラティ・クアトロポルテIV(1994年)
マセラティ・クアトロポルテIV(1994年)

デ・トマソ・ビグア(1996年)

この2シーター・クーペ・カブリオレは当初デ・トマソ・ビグアを名乗っていたが、1960年代のマングスタの名を引き継ぐことになった。その後、資金提供や商標権移転など紆余曲折を経てクヴェール(Qvale)社からマングスタとして販売されることになる。

その後、クヴェールがMGローバー傘下に入ったことで、マングスタも2002年に生産終了。わずか284台しか販売されなかった。その後、マングスタのプラットフォームを流用したMG XパワーSVが登場している。

デ・トマソ・ビグア(1996年)
デ・トマソ・ビグア(1996年)

ストーラS81(2000年)

1919年に設立されたストーラは、知名度こそ低いものの、デザインとプロトタイプ製作で100年におよぶ歴史を持つ伝統的な会社だ。ガンディーニ氏との関係は、1980年代後半のブガッティEB110の開発から始まった。1996年、ストーラは自社の技術力を示すコンセプトカーとしてS81の製作を開始する。

ランチエ・ストラトスのオリジナルデザイン発表から30年が経過していたため、ストーラはガンディーニ氏にストラトスの21世紀バージョンの製作を依頼した。最終的に、クアトロポルテと同じマセラティ製V8エンジンをミドマウントするプロトタイプが完成し、2000年のトリノ・モーターショーで発表された。走行はできないようだ。

ストーラS81(2000年)
ストーラS81(2000年)

記事に関わった人々

  • 執筆

    AUTOCAR UK

    Autocar UK

    世界最古の自動車雑誌「Autocar」(1895年創刊)の英国版。
  • 翻訳

    林汰久也

    Takuya Hayashi

    1992年生まれ。幼少期から乗り物好き。不動産営業や記事制作代行といった職を経て、フリーランスとして記事を書くことに。2台のバイクとちょっとした模型、おもちゃ、ぬいぐるみに囲まれて生活している。出掛けるときに本は手放せず、毎日ゲームをしないと寝付きが悪い。イチゴ、トマト、イクラなど赤色の食べ物が大好物。仕事では「誰も傷つけない」「同年代のクルマ好きを増やす」をモットーにしている。

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