ロータス23より美ボディ? 他に例がない公道での「没入体験」 唯一のナンバー付きエメリソン(2)

公開 : 2024.03.31 17:46

研究熱心でF1マシンも開発したエメリー親子 ナンバーを唯一取得した、F2マシンがベースのロードスター 他に例がない公道での没入体験 英国編集部がご紹介

ロータス23と比較したくなるボディ

エメリソンは、ナンバープレートの取得可能なクルマを作ったことはなかった。しかし、公道で開かれるヒルクライム・レースへF2マシンで参戦するには、同社への依頼が最も現実的だとレイ・フィールディング氏は判断したらしい。

そこで代表のポール・エメリー氏は、英国のスポーツカー規格に沿って再設計。シートを2脚載せられるよう、F2用シャシーは中央部分が外側に広げられた。

エメリソン(1961年/英国仕様)
エメリソン(1961年/英国仕様)

ドアやライト類を備える、ボディも新たにデザインされた。デザイナーは不明だが、クーパー社のT39、ボブテールと呼ばれるマシンの影響が強いことは明らかだ。

エンジンは、F2マシンと同じ1.5Lのコベントリー・クライマックス社製。だが、ツインUSキャブレターを載せたシングル・オーバーヘッド・カムのWBユニットで、中身は異なった。トランスミッションは4速マニュアルで、クーパーの刻印が入っている。

最高出力は99psと控えめ。車重は約519kgと軽く、1t当たりの馬力は約200psと、まったく不足はない。

サスペンションは、フロントがダブルウィッシュボーン式。リアは、アッパーリンクをドライブシャフトが兼ねた、ウィッシュボーン式が採用された。ブレーキは四輪ディスクで、ステアリングはラック&ピニオン。当時最先端のパッケージングといえた。

自ずと、同時期のロータス23と比較したくなる。筆者としては、スタイリングではエメリソンの方が優れているように感じる。シルエットは美しく、ナンバープレートの取得に必要なドアも、巧みに融合されている。

これ以上無理なくらい低い座面の位置

HSO 77のナンバーで、1961年3月に納車。フィールディングは妻のドリーンとともに、その年のヒルクライム・レースを戦っている。その後、ウィラル・レーシング社を営むグレアム・オースティン氏が購入。JCM 700のナンバーで再登録された。

彼は1964年から1966年まで、モータースポーツに投入。1971年にはリチャード・ファルコナー氏が入手し、46年間も状態を維持した。その間にも多数のイベントへ参戦し、1977年のシルバーストン6時間リレー・レースでは、85周も周回している。

エメリソン(1961年/英国仕様)
エメリソン(1961年/英国仕様)

現在のオーナーは、整形外科医のデビッド・ギデン氏。独自性の高さへ強く惹かれた彼は、既に5年間をともにしており、価値を高めることを目指し包括的なレストアが施されている。

最初に作業を引き受けたのは、英国のサーキット・モーター・ボディーズ社だったが、以前のクラッシュによる損傷を発見。ロータスを得意とする専門家、ティム・ギャリントン氏が最終的に仕上げたそうだ。

ヒルクライム・レースを15年以上嗜むデビッドは、初代オーナーが志したロードゴーイング・エメリソンのスピリットを正しく受け継いでいる。今回はシルバーストンのコースへ入れないが、経緯を考えれば、公道での走りを確認した方が望ましいだろう。

小さなドアを開き、薄いクッションにレザーが張られたシートへ腰を下ろす。着座位置は、これ以上無理なくらい低い。1960年代のワンオフモデルとしては、理想的なほど人間工学に優れ、快適に過ごせる。

記事に関わった人々

  • 執筆

    サイモン・ハックナル

    Simon Hucknall

    英国編集部ライター
  • 撮影

    マックス・エドレストン

    Max Edleston

    英国編集部フォトグラファー
  • 翻訳

    中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

唯一のナンバー付きエメリソンの前後関係

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