フェラーリのカリスマ、ルカ・ディ・モンテゼーモロが成し遂げたこと 【第10回】フェラーリへの愛

公開 : 2024.06.15 08:05

エンツォ・フェラーリの哲学を直接受け継ぎ、フェラーリを世界最高の企業に復興させた男がルカ・ディ・モンテゼーモロだ。まさにカリスマといえるその足跡を、イタリアに精通するカー・ヒストリアンの越湖信一が辿る。

マルキオンネ時代の終焉

text:Shinichi Ekko(越湖信一)
photo:hinichi Ekko(越湖信一)、 Ferrari S.p.A.、Italo.

2023年8月、アンナ・フェンディ嬢(フェンディ創始者)主宰のパーティで、前回のフィオラーノに姿を現して以来一年ぶりにモンテゼーモロとの邂逅があった。セレブリティ達の集まるパーティの中でも、相変わらず彼のオーラは健在だ。

「あの、フェラーリの」、「モンテゼーモロだね」と彼をめざとく見つけた人々が囁いている。連絡先の会話から彼が手渡してくれたのはイタリアの新興高速鉄道イタロ(Italo.)の会長たる名刺であった。当然ながらもう跳ね馬の名刺ではない。そう、モンテゼーモロがマラネッロを去って10年の歳月が過ぎていたのだ。

2023年8月、アンナ・フェンディ主宰のパーティに、モンテゼーモロの姿があった。歳を重ねたものの、放つオーラは健在だった。
2023年8月、アンナ・フェンディ主宰のパーティに、モンテゼーモロの姿があった。歳を重ねたものの、放つオーラは健在だった。    越湖信一

一方でフェラーリのIPOを成功させ、フェラーリ会長の座におさまったセルジオ・マルキオンネは、FCAの舵取りにとんでもなく多忙な毎日を過ごしたと言われている。

マセラティのトリノ・グルリアスコ工場の設立、アルファ・ロメオとマセラティをグループ化、そして、その両ブランドのためモデナに開発拠点の構築…。マルキオンネはそのIPOによって株式市場で獲得した資金を、アニエッリ家のためにこれらへと費やした。

しかし、一体何が起こるか世の中わからない。24時間眠らない男と呼ばれたマルキオンネは、2018年7月25日に病魔に襲われ鬼籍へ入ってしまった。フェラーリ会長職はジョン・エルカーンが引き継ぐこととなった。

フェラーリの新たな戦略

一方、フェラーリの業績は順調そのものだ。コロナ禍においても堅調な数字を記録し、2023年の全世界の年間生産台数は1万3663台と史上最高を記録した。さらに純利益は12億5,700万ユーロと、21世紀初旬と比較するなら10倍ほどという堅調ぶりだ。

2014年当時、モンテゼーモロが適正台数と掲げていた年間生産台数は7000台あまりであるから、もはや現在の台数はその2倍ほどということになる。モンテゼーモロが我が身を賭けて主張した希少性への拘りは無意味なことだったのだろうか?

フェラーリから退いたモンテゼーモロは、イタリアの新興高速鉄道イタロ(Italo.)から招かれ会長として腕を振るっている。
フェラーリから退いたモンテゼーモロは、イタリアの新興高速鉄道イタロ(Italo.)から招かれ会長として腕を振るっている。    Italo.

しかし、フェラーリは今も変わらず、どのブランドにもまして「希少性」に拘り続けているのも事実だ。電動化など新しい環境に対応するため、生き残りを賭けた大きな開発投資が必要となってきたのは、モンテゼーモロ時代と現在の大きな変化だ。今までのような地方の中小企業レベルでは、少量生産メーカーといえども存在が難しくなっていた。

そこで、彼らが考えたのはモデルレンジを広げて販売台数を稼ぐ方法論だ。ラインナップは広げながらも、各モデル単位では、需要と供給のバランスを見極めて適正販売台数を探るというアプローチをフェラーリは採った。つまり、生産台数の絶対値というよりも、「受注獲得数」が重要なパラメーターとなるわけだ。

加えて、近年のフェラーリは希少性をアピールし易い限定モデルのレンジを積極的に増やしている。モンテゼーモロが綿密に構築したスペチアーレのビジネスは、SP1/2モンツァやSP3デイトナなどの「イーコナ」シリーズや、いくつもの「フューオフ」プロジェクト(数台のみ生産)、1台だけの「ワンオフ」と、より細分化されている。

さらに高い利益を生み出す原資は、カスタマイゼーションによる単価の向上が大きなファクターとなっている。今やカタログプライスでフェラーリを購入することはできないと考えた方がよい。フェラーリ・アトリエのコンフィギュレーターで素敵な組み合わせを選んでいくと、あっという間に500-600万円を追加して支払わなければならない。

こう考えると生産体制のアップデートや、ハイパフォーマンスカー・マーケットのさらなる拡大によって、モンテゼーモロの危惧はうまく吸収されてしまったのだ。彼が力業でフェラーリ社内に引き戻したスタイリング開発に関しては、フェラーリ・デザインセンターが上手く働いている。

スカリエッティ工場に集約して、最新テクノロジーを導入したシャシー&ボディ製造システムの確立、エンジンブロックの鋳造からPHEVシステムのアッセンブルまでの内製化など、現在フェラーリが安泰であるのは、モンテゼーモロが蒔いた種であったことがわかる。

記事に関わった人々

  • 執筆 / 撮影

    越湖信一

    Shinichi Ekko

    イタリアのモデナ、トリノにおいて幅広い人脈を持つカー・ヒストリアン。前職であるレコード会社ディレクター時代には、世界各国のエンターテインメントビジネスにかかわりながら、ジャーナリスト、マセラティ・クラブ・オブ・ジャパン代表として自動車業界にかかわる。現在はビジネスコンサルタントおよびジャーナリスト活動の母体としてEKKO PROJECTを主宰。クラシックカー鑑定のオーソリティであるイタリアヒストリカセクレタ社の日本窓口も務める。
  • 編集

    上野和秀

    Kazuhide Ueno

    1955年生まれ。気が付けば干支6ラップ目に突入。ネコ・パブリッシングでスクーデリア編集長を務め、のちにカー・マガジン編集委員を担当。現在はフリーランスのモーター・ジャーナリスト/エディター。1950〜60年代のクラシック・フェラーリとアバルトが得意。個人的にもアバルトを常にガレージに収め、現在はフィアット・アバルトOT1300/124で遊んでいる。

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