フェラーリのカリスマ、ルカ・ディ・モンテゼーモロが成し遂げたこと 【第4回】ピニンファリーナのコントロール
公開 : 2024.05.04 08:05
エンツォ・フェラーリの哲学を直接受け継ぎ、フェラーリを世界最高の企業に復興させた男がルカ・ディ・モンテゼーモロだ。まさにカリスマといえるその足跡を、イタリアに精通するカー・ヒストリアンの越湖信一が辿る。
フェラーリの思惑
フェラーリとピニンファリーナの関係は特殊なものといえた。ピニンファリーナはフェラーリに対してサプライヤーだけではなく、パートナーとして唯一「物のいえる存在」だったのだ。そしてフェラーリのボディ担当としての地位を死守したいピニンファリーナと、それを取り崩そうとするフェラーリの思惑は、両者の関係性を決める重要な力学であった。
フェラーリ側にしてみれば、ある種の鬱憤が長年に渡りたまっていたに違いない。「カネを出しているのは我々だ。であるのにあれこれ注文を付ける。そして成功作が生まれれば全てピニンファリーナの手柄であると吹聴する…」ということなのだ。
ちなみにテスタロッサ系までの12気筒モデルはそれまでピニンファリーナの製造であり、鋼管バックボーンシャシーはモデナのヴァッカーリ&ボージ社が手掛けた。そして前述のように348系以降の8気筒系は、完全にスカリエッティでボディの製造が行われることになった。(ディーノ206、246以降、308なども基本的にはスカリエッティによる)。12気筒モデルは456GTの途中からトリノのフィアット系ファクトリーがボディワークを手掛け、360モデナ以降のボディはすべてスカリエッティ製となった。
幻となった412後継モデル
モンテゼーモロ体制として初めてローンチが行われたニューモデルは2+2の456GTであった。このお披露目には彼のF1人脈が大きく活かされ、ラグジュアリー・マーケットに強く訴求した。
舞台はブリュッセルのサンカントネール公園。ジャック・スワター率いるガレージ・フランコルシャンとフェラーリの40年に渡るコラボレーションを祝う記念イベント「FF40」の目玉として発表された。登場した456GTは、前作の412とは大きく趣を異にする、グラマラスでスポーティな姿のグラントゥーリズモであった。
モンテゼーモロは456GTの開発時にフィアット役員として目を光らせており、当時こんなエピソードがあった。ピニンファリーナからの提案による「次期412」は発表の秒読み段階だったが、1989年フランクフルト・モーターショーの、まさにプレスディに開発の承認が取り消されたという。
BMWがその日発表した850i(E31)が、開発中のモデルに酷似していたのがその理由というのだ。当時の関係者は「強い影響力を持った人物からプロジェクトをゼロから見直せ、との命令が下されたという。このモデルは(BMWと同じように見えるほど)あまりに普通過ぎる、というのがその理由だった」と証言する。おわかりだと思うが、その「強い影響力を持った人物」こそがモンテゼーモロであったのだ。