フェラーリのカリスマ、ルカ・ディ・モンテゼーモロが成し遂げたこと 【第5回】ラインナップの刷新と技術革新

公開 : 2024.05.11 08:05

エンツォ・フェラーリの哲学を直接受け継ぎ、フェラーリを世界最高の企業に復興させた男がルカ・ディ・モンテゼーモロだ。まさにカリスマといえるその足跡を、イタリアに精通するカー・ヒストリアンの越湖信一が辿る。

新時代を創り上げたF355

text:Shinichi Ekko(越湖信一)
photo: Ferrari S.p.A.

1994年にはピニンファリーナとの複雑な力関係の中で、モンテゼーモロは量産を狙う8気筒カテゴリーで商品力を高めたF355をアンベールした。シャシー等基本構造は348系を踏襲するが、縦置きに搭載されたエンジンは新開発の5バルブ3495cc、最大出力380ps、最大トルク36.7kg-mを発揮するF129型であった。

フィアットが作ったフェラーリとも評された少々軽快感に欠ける348系を、シャープな魅力を持ったモデルへと仕立て上げることに成功したといえる。コンパクトでエッジの効いたスタイリング、官能的なエグゾーストノートなど、まさにフェラーリファンが求めていた要素を備えた1台だった。

モンテゼーモロは量産を狙う8気筒カテゴリーで、商品力を高めたF355を1994年にアンベールした。1995年にはフルオープンになるスパイダーを追加し、ベルリネッタ、タルガトップとあわせて3タイプが用意された。
モンテゼーモロは量産を狙う8気筒カテゴリーで、商品力を高めたF355を1994年にアンベールした。1995年にはフルオープンになるスパイダーを追加し、ベルリネッタ、タルガトップとあわせて3タイプが用意された。    Ferrari S.p.A

2ペダルの追加で「誰にでも乗れるフェラーリ」へ

1995年からはエアバックを装着し安全性を高め、フルオープンになるスパイダーが追加される。さらに1997年には6速マニュアルトランスミッションに加えて、2ペダルでセミ・オートマティックの「F1マティック」が追加設定され、誰にでも乗れるフェラーリとして新たな客層を獲得することに成功する。

モンテゼーモロの手が入った355系、550マラネッロと、順調にラインナップの刷新は進んでいった。一時期2000台レベルまで落ち込んでいた年間生産台数も1990年後半には3000台を超え、改革は順調に進んでいるかのように思われた。

1997年には2ペダルでセミ・オートマティックの「F1マティック」が追加設定される。誰にでも乗れるフェラーリを標榜していたモンテゼーモロの考えを具現化したもので、新たな客層を獲得し生産台数を増大させた。
1997年には2ペダルでセミ・オートマティックの「F1マティック」が追加設定される。誰にでも乗れるフェラーリを標榜していたモンテゼーモロの考えを具現化したもので、新たな客層を獲得し生産台数を増大させた。    Ferrari S.p.A

商品のクオリティが改善されたのは間違いないが、まだ個体によるバラツキは見られた。フェラーリにとって何よりも重要なエンジン自体の耐久性などに関しても改善の余地はあり、スポーツモデルの要ともいえるシャシーは古い基本設計のモデルを使い回しているという状態であった。

フェラーリの未来を決めた408 4RM

ところで408 4RMというモデルをご存知であろうか? このミッドマウント8気筒AWDのコンセプトモデルは、1987年にフェラーリの先行開発部門ともいえるフェラーリ・エンジニアリングが製作したもの。そしてその指揮を執ったのがスクーデリア・フェラーリから異動となったマウロ・フォルギエーリであった。

このコンセプトモデルには多くのユニークな特徴を持つが、注目すべきはアルミの押し出し成型材を用いたスペースフレームの採用であった。天才エンジニアは当時のフェラーリロードカーの進む道を憂いていた。348tb/tsではフィアットのモノコックボディ製造のノウハウを応用して新たなアーキテクチャを開発したものの、軽量化やボディ剛性の確保という点で決して期待した結果を生み出していなかったからだ。

1987年に製作されたミドマウント8気筒AWDのコンセプトモデルが408 4RMだ。注目点はアルミの押し出し成型材を用いたスペースフレームを採用したことだ。指揮を執ったのがスクーデリア・フェラーリから異動となったマウロ・フォルギエーリだった。
1987年に製作されたミドマウント8気筒AWDのコンセプトモデルが408 4RMだ。注目点はアルミの押し出し成型材を用いたスペースフレームを採用したことだ。指揮を執ったのがスクーデリア・フェラーリから異動となったマウロ・フォルギエーリだった。    Ferrari S.p.A

記事に関わった人々

  • 執筆

    越湖信一

    Shinichi Ekko

    イタリアのモデナ、トリノにおいて幅広い人脈を持つカー・ヒストリアン。前職であるレコード会社ディレクター時代には、世界各国のエンターテインメントビジネスにかかわりながら、ジャーナリスト、マセラティ・クラブ・オブ・ジャパン代表として自動車業界にかかわる。現在はビジネスコンサルタントおよびジャーナリスト活動の母体としてEKKO PROJECTを主宰。クラシックカー鑑定のオーソリティであるイタリアヒストリカセクレタ社の日本窓口も務める。
  • 編集

    上野和秀

    Kazuhide Ueno

    1955年生まれ。気が付けば干支6ラップ目に突入。ネコ・パブリッシングでスクーデリア編集長を務め、のちにカー・マガジン編集委員を担当。現在はフリーランスのモーター・ジャーナリスト/エディター。1950〜60年代のクラシック・フェラーリとアバルトが得意。個人的にもアバルトを常にガレージに収め、現在はフィアット・アバルトOT1300/124で遊んでいる。

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