フェラーリのカリスマ、ルカ・ディ・モンテゼーモロが成し遂げたこと 【第6回】フェラーリの「改善」とマセラティの「再建」

公開 : 2024.05.18 08:05

マセラティを傘下に

しかし、生産台数を増やすといってもそう簡単なことではない。品質向上や商品力アップとの間で、鶏と卵のような関係ではないか。ましてや短期間に大きく増やすことなど現実的には不可能である。モンテゼーモロはいったいどのような魔法を使ったのであろうか。

そう、その生産台数急拡大の鍵は、マセラティを傘下に入れたことにある。1997年に突如フェラーリが、かつてのライバルであるマセラティを傘下に入れたというニュースが飛び込んできた。

モデナにあるマセラティのファクトリーは、本社ビルやパーキング棟があらたに建築され最先端の機能を備えるに至った。
モデナにあるマセラティのファクトリーは、本社ビルやパーキング棟があらたに建築され最先端の機能を備えるに至った。    Maserati S.p.A

水面下では様々な駆け引きが行われたようだが、マセラティを任せることが出来るのはモンテゼーモロしか存在しないという究極の判断で、マセラティ再建指令がフィアットのボスであるジャンニ・アニエッリより出されたのだ。

1993年にマセラティのマネージメントを行っていたアレッサンドロ・デ・トマソが病魔に襲われたことでデ・トマソ・グループは崩壊し、フィアットがその株式を引き受ける。ところが、フィアット・グループの一員となったものの、そこには少量生産ハイパフォーマンス・モデルの開発・販売の具体的な方法論は存在せず、人材もなかった。

そこで同じモデナ・エリアに君臨するフェラーリのトップであるモンテゼーモロに白羽の矢が立ったというワケだ。フェラーリのリソースを有効活用するという点では理にかなってはいるが、かつてのライバルにその再建を委ねるという、誰もがあっと驚くような奇策が採られたのだ。

モンテゼーモロによる大改革

ここにマセラティ・フェラーリ・グループのオペレーションが始まった。マセラティのファクトリーを大改装すると共に、フェラーリ本社のマラネッロでは、マセラティ、フェラーリ両社を合計した生産規模に対応するエンジン製造棟とボディのペイント棟が新設された。

オートメーション化を進めた工場施設の大規模なリノベーションも同時に行われ、エンジンブロックの鋳造から、最終組み付け、テストまでを外注なしに、社内で一貫して行えるようにされた。

マラネッロのファクトリーには全自動で塗装ができるペイント棟が新たに建設され、クオリティを大きく改善した。ペイント棟ではフェラーリはもちろん、マセラティの各モデルもラインに並ぶ。
マラネッロのファクトリーには全自動で塗装ができるペイント棟が新たに建設され、クオリティを大きく改善した。ペイント棟ではフェラーリはもちろん、マセラティの各モデルもラインに並ぶ。    Ferrari S.p.A

今までは手作業や多くの外注業者によるパーツを使って組み上げていたエンジンだが、最新のツールにより、クオリティを上げながらも必要充分な数を組み上げることが可能となり、ペイントのクオリティももちろん大きく改善された。

両社はスケールメリットを享受

主旨としてはマセラティ再建の為ための投資であることは間違いない。しかし、この「合併劇」のためにフィアット・グループから潤沢な資金がフェラーリに流れ、懸案の生産台数拡大が、大きなスケールで一気に達成されることとなった。

1998年のフェラーリ年間生産台数は3637台。そしてマセラティはフェラーリの元でゼロから開発が行われたクアトロポルテVがマーケットに出るころには6000台あまりの生産が行われていたから、両社合わせて1万台クラスの規模になった。量産メーカーとしては小さな数字に見えるが、この手のラグジュアリー・スポーツカーとしてはかなりの規模となった。

マセラティのモデナ工場の生産プラントは、以前からあるレンガ造りの建物が再利用された。しかし、その中身は最新の設備が導入され高いクオリティを実現した。
マセラティのモデナ工場の生産プラントは、以前からあるレンガ造りの建物が再利用された。しかし、その中身は最新の設備が導入され高いクオリティを実現した。    Maserati S.p.A

果たしてフェラーリとマセラティの生産台数が足し算されることとなり、生産、部品調達、あらゆる点で両者はスケールメリットを享受することとなった。これはフェラーリにとっても望外のメリットであり、ブランド躍進の大きな原動力となったのだ。

続きは2024年5月25日(土)公開予定の「【第7回】エンツォ・フェラーリ誕生秘話」にて。

記事に関わった人々

  • 執筆

    越湖信一

    Shinichi Ekko

    イタリアのモデナ、トリノにおいて幅広い人脈を持つカー・ヒストリアン。前職であるレコード会社ディレクター時代には、世界各国のエンターテインメントビジネスにかかわりながら、ジャーナリスト、マセラティ・クラブ・オブ・ジャパン代表として自動車業界にかかわる。現在はビジネスコンサルタントおよびジャーナリスト活動の母体としてEKKO PROJECTを主宰。クラシックカー鑑定のオーソリティであるイタリアヒストリカセクレタ社の日本窓口も務める。
  • 編集

    上野和秀

    Kazuhide Ueno

    1955年生まれ。気が付けば干支6ラップ目に突入。ネコ・パブリッシングでスクーデリア編集長を務め、のちにカー・マガジン編集委員を担当。現在はフリーランスのモーター・ジャーナリスト/エディター。1950〜60年代のクラシック・フェラーリとアバルトが得意。個人的にもアバルトを常にガレージに収め、現在はフィアット・アバルトOT1300/124で遊んでいる。

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