フェラーリのカリスマ、ルカ・ディ・モンテゼーモロが成し遂げたこと 【第9回】株式上場を目論むマルキオンネとの確執
公開 : 2024.06.08 08:05
マルキンネとの確執
この「政変」の根底には2009年にFCAのCEOに任命され、フェラーリのマネージメントに影響力を高めていたセルジオ・マルキンネとの強い確執があった。主たる論点はフェラーリのIPO(新規株式公開)に対する是非であった。マルキオンネはフィアットの創始家であるアニエッリ・ファミリーのボス、ジャンニ・アニエッリの後を継ぐジョン・エルカーンを巻き込んだ。
それまで株式公開を行わず、アニエッリ・ファミリーがその大半の株式を保持するフェラーリをFCAから分離させ、一気に株式上場しようとした。そのIPOで得た資金をFCAグループに投入し、フォルクスワーゲン・グループなど大きな投資をコンスタントに行うライバル達に追いつこうというのが筋書きであったのだ。
つまりアニエッリ家の意向に従い、フェラーリの持つ価値をFCAグループの経営に環流しようというアクションであった。なにより、この分離(スピンオフ)やIPOによる資金捻出は、M&Aに長けたマルキオンネの得意とするところだったから、アニエッリ家も安心して彼にフェラーリの行く末を任せたというワケだ。
しかし、考えてみればこれは何とも感慨深い出来事である。かつて資金不足から経営が行き詰っていたフェラーリに投資したフィアットが、今度はフェラーリの企業価値を担保に資金調達し、自らの経営再建を行うのだから…。
フェラーリが上場された日
2015年10月21日にフェラーリはニューヨーク証券取引所に新規株式公開(IPO)を行った。初値は52ドルの公開価格を上回り、初日には時価総額1兆2500億円あまりとなり、フェラーリのブランドパワーは広く一般から評価されたことを意味する。自動車業界としてはまさに「地方の中小企業」であるが、そのブランドの、のれんが持つ含み資産は、遥かに事業規模が大きい自動車メーカーを上回ることになった。
そして重要なことは、ここでFCAとフェラーリの資本関係は解消され、独立企業となったという事実だ。1968年にフィアットの傘下入りから半世紀ほどのインターバルを経て、フェラーリは再び自前の路線を歩むこととなった。
とはいっても市場へ公開された株式の大部分はFCAの株主へと割り当てられることになっており、その筆頭株主は、フィアット創始家のアニエッリ・ファミリーである。だからFCAの体制が現状を維持する限り、フェラーリのマネージメントは現実的に大きく変化することはないとも言える。
しかし、よりアニエッリ・ファミリーの直接的支配力が強くなり、公開株となったことでこれまで密室で進められいた経営もガラス張りにする必要がある。神秘性に満ちたブランドストーリーを維持するためには非公開であるべきだと主張したのはモンテゼーモロであったのだが。
FCAは、モンテゼーモロに対して2695万ユーロ(約37億5千万円)の退職金を支払うことを明らかにした。その条件として2017年月までは同業他社への就業は禁止するということだ。
この金額に対してとんでもなく高額だ、アニエッリ家からの手切れ金だ、などと様々なコメントが乱れ飛んだが、フェラーリをこれだけの規模の組織に育て上げた手腕を考えれば妥当であるという意見が主流であった。
フェラーリの純血と希少性に拘ったモンテゼーモロはフェラーリを追われ、フェラーリにおける彼のキャリアが終了することとなった。
続きは2024年6月15日(土)公開予定の「【第10回】フェラーリへの愛」にて。