シトロエンに「全然見えない」 トラクシオン・アバンが土台 1948年のレナード・エ・ベック・ロードスター

公開 : 2024.04.21 17:45

特徴的なフロントグリルとフェンダーライン

それでは、レナード・エ・ベック社の歴史とは。同社は、マリウス・レナード氏がパリ北西のピュトーに立ち上げたコーチビルダー。事業を支援した会計士か投資家の名前が、ベックだったと考えられている。

シャプドレーヌの調べによると、完成は1948年。同社にとって、トラクシオン・アバンをベースにした初のコンバージョンだったらしい。

トラクシオン・アバン・レナード・エ・ベック・ロードスター(1948年式)
トラクシオン・アバン・レナード・エ・ベック・ロードスター(1948年式)

シトロエンの歴史に詳しいオリヴィエ・ド・セレス氏によると、ベース車の製造は1947年。シロナガスクジラのスタイリングは、フランスでは有名だったデザイナー、ジェオ・ハム氏が描き出したものだった。

実は彼の本名は、マリウス・レナードだったとか。本当にジェオと同一人物なら、「MR」のイニシャルで数多くのコンバージョンを提供したことになる。ちなみに、プジョー403 クーペをベースにした例も4台手掛けている。

レナード・エ・ベック社は、今回の2+2シーターのほかに、4シーターのロードスターも完成させている。ボディサイドには、特徴的なプレスラインが施されていた。

同社のデザインは、ラジエターグリルと、ふくよかなフェンダーに一体化されたヘッドライトが特徴。リアのホイールアーチにスパッツが与えられたり、リアウインドウが2面に分割されたボディもあった。

他のコーチビルダーへ、ボディキットの販売もしていた。リヨンのマルシャン社はレナード・エ・ベック社の代理店だったが、独自にボディも製造しており、マルシャンのボディキットとして扱われたようだ。

驚くほど肉厚なドア シトロエンとは思えない

ライト・ブルーのレナード・エ・ベック・ロードスターは、11CVのロードスター仕様、オンゼ・ノルマーレがベース。実際のところ、これも大胆なスタイリングをまとっていたモデルで、トラクシオン・アバンと見事に差別化されていた。

前端がキックアップしたドア上部のラインと、ソフトトップに合わせて上端が水平なフロントガラスが特徴だった。レナード・エ・ベック社による、独自のボディはスチール製。フェンダーとボディの境目はワイヤーで埋められ、丁寧な仕事がうかがえる。

トラクシオン・アバン・レナード・エ・ベック・ロードスター(1948年式)
トラクシオン・アバン・レナード・エ・ベック・ロードスター(1948年式)

フロントフェンダーは大きく、そこから続くドアは驚くほど肉厚。オリジナルの11CVではドアヒンジが露出しているが、厚みを活かし、このロードスターではボディ面と一体化してある。ドアハンドルは、他ブランドからの流用のようだ。

丸みを帯びたサイドシルは、独自デザインのリアフェンダーと繋がっている。荷室は巨大。テールには、2本のバンパーバーが渡されている。テールライトは繊細で、右側のクロームメッキ・カウルを持ち上げると、給油口が現れる。

+2の小さなリアシートを設けるため、コクピットにも手が加えられた。ボンネットも作り直され、シトロエンとは思えないスタイリングが誕生している。

インテリアへ目を配ると、アルミ製トリムがゴージャス。タコメーターが追加されている。オリジナルの11CVでは、ダッシュボード中央にラジオが組まれるが、レナード・エ・ベック社はグローブボックスへ置き換えた。

記事に関わった人々

  • 執筆

    ジョン・プレスネル

    Jon Pressnell

    英国編集部ライター
  • 撮影

    オルガン・コーダル

    Olgun Kordal

    英国編集部フォトグラファー
  • 翻訳

    中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

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