何度でもやり直す! BMWイセッタに30年 メッサーシュミットには11年 完璧主義なバブルカー・マニア(1)

公開 : 2024.04.28 17:45

自他ともに認める強いコダワリを持つ英国のバブルカー・マニア 30年も手を加え続けてきたイセッタ レストアに11年を費やしたKR200 極小の2台を英国編集部がご紹介

自他ともに認める強いコダワリで完遂

「1度レストアしたら、情が湧いて手放せないんですよ。小さなクルマには強く惹かれますし」。イセッタとメッサーシュミット、数台のスクーターが並ぶ狭いガレージを眺めながら、デイブ・ワトソン氏が微笑む。

彼は、設計や溶接、成形技術に長けたレストア職人だ。1度興味を抱いたら、クルマに限らずどんなモノでも、自他ともに認める強いコダワリで仕事を完璧にこなす。「うまく行かなければ、もう一度やり直します。その繰り返しです」

ブルーのBMWイセッタ 300と、オレンジのFMR KR200
ブルーのBMWイセッタ 300と、オレンジのFMR KR200

つい最近仕上げたのが、1920年代に製造されたミシュラン社製のエアポンプ。新品同様になったそうだ。この作業で、ワトソンは新たにゴムの鋳造技術を習得したらしい。

「自分が幼かった1970年代には、イセッタはまだ町中を走っていました。近所のガレージに、停まっていた記憶があります」。と昔を振り返る彼は、クルマを通じて機械に対する情熱を強めていった。

大人になってしばらく過ぎた1992年、彼は偶然手にした自動車雑誌で、バブルカーと呼ばれた戦後のマイクロカーの特集記事を読んだ。その時、小さなクルマに対する気持ちへ火が付いたようだ。

早速「ナショナル・マイクロカー・ラリー」というイベントを訪れ、後に彼の所有となる、1959年式イセッタ 300を目にする。そのオーナーは、ロンドンから北西に離れたアリスバーリーの町から、50kmほど離れた場所に住んでいた。

「ボディは今のようなブルーではなく、イエローでした。分解し、新しいフロアパネルを溶接しました。その頃の自分に、今のような技術はなかったですが」

1本のリアタイヤが英国仕様の目印

タイトな車内の左側にステアリングホイールが付いているが、これはれっきとした英国仕様だ。グレートブリテン島に存在する多くの例と同じく、ワトソンのクルマも、イセッタ・モーター社のブライトン・ロコモーティブ工場でライセンス生産されている。

「イセッタには、BMWのエンブレムが付いているものもあれば、ないものもあります。かなりランダムなんですが、製造されたタイミングで工場に在庫があったかどうかで、有無が決まったようなんですよ」。ワトソンが笑う。

BMWイセッタ 300(1957〜1964年/英国仕様)
BMWイセッタ 300(1957〜1964年/英国仕様)

BMWは第二次大戦後の1955年、イタリアのイソ社から、イセッタの製造ライセンスを取得。英国のブライトン工場で製造された車両は、そのコピーだった。

英国仕様の目印となるのが、リアタイヤが1本なこと。当時の英国では、三輪車に対し購入税が優遇される制度があり、販売でメリットがあると考えられたためだ。だが、四輪仕様もアジアやアフリカの英国連邦諸国に向けて製造されていた。

イセッタの初期型は、すべて左ハンドル車だった。エンジンをシャシーの反対側へ搭載することで、ドライバーの体重とのバランスが取られていた。後に右ハンドル車も製造されているが、バラストを積んで安定性を担保していた。

また、ブライトン工場で作られたイセッタの電装系には、ドイツのボッシュ社製ではなく、自国のルーカス社やガーリング社の部品が用いられた。エンジンとボディはBMWが供給していたが、シャシーも、英国のルベリー・オーウェン社が製造していた。

記事に関わった人々

  • 執筆

    チャーリー・カルダーウッド

    Charlie Calderwood

    英国編集部ライター
  • 撮影

    マックス・エドレストン

    Max Edleston

    英国編集部フォトグラファー
  • 翻訳

    中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

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