ちょっと「度を超えた」挑戦? TVR T 400R 346km/hのタスカン ナンバー付きGT1マシン(1)

公開 : 2024.05.04 17:45  更新 : 2024.05.07 06:43

TVRの好調期に計画された、GT1クラスのル・マン・レーサー 4.0L直6は405psを達成 340km/h以上の最高速が疑問なほど親しみやすい 英編集部が貴重な1台をご紹介

340km/h以上のレーサーという、大胆な挑戦

恐れを知らない野心と楽観主義。少量生産のスポーツカー・メーカーを営むうえで、重要な精神かもしれない。ただし、過信は良くない。何事も適量が重要といえる。

英国のTVRは、時速200マイル(約321km/h)超えのレーサーへ挑んだ。しかし型式認証や製造品質、販売後の保証など、退屈でも重要な現実に直面。資金繰りが悪化し、ブランドの成長を止めてしまった。

TVR T 400R(プロトタイプ/2002年/T 440R仕様)
TVR T 400R(プロトタイプ/2002年/T 440R仕様)

TVRは、歴史の浅いスポーツカー・メーカーではない。だが規模は小さく、予算が潤沢とはいえなかった。ほぼゼロの状態から最高速度340km/h以上を誇るホモロゲーション・モデルを開発し、販売することは、少し度を超えた挑戦だったのかもしれない。

今回ご紹介する特別なタスカンは、エンジンやボディ、インテリアだけでなく、シャシーまで、ほぼすべての部品が新たに設計・製造されていた。グレートブリテン島中西部、ブラックプールに構えた、広くないワークショップで。

新車時の価格は、約7万5000ポンド。利益は多くなかったが、小さな金額ではなかった。年間の生産数が1000台以下の、知名度がさほど高くないブランドにとっては、売ること自体も課題の1つだった。

それでも、当時の同社を率いていたピーター・ウィーラー氏には計画があった。1962年以来となる、ル・マン24時間レースへの復帰だ。

視界に入ったスポーツカーレースの頂点、GT1

1970年代には、TVR 1600Mと3000Mがモータースポーツで活躍。TVRタスミンは、1987年の750モータークラブ・チャンピオンシップというイベントで24戦中21勝という、大戦果を挙げていた。あいにく、公道用モデルは作られなかったが。

1990年代に入ると、2代目のTVRグリフィスが信頼性の向上へ貢献。曲線美の2代目タスカンが、ブランドの知名度を牽引した。モータースポーツとの距離が遠くないメーカーとして、ル・マンは挑戦すべきイベントだった。

TVR T 400R(プロトタイプ/2002年/T 440R仕様)
TVR T 400R(プロトタイプ/2002年/T 440R仕様)

20世紀末から、TVRは好調の波に乗っていた。しかも、ロータス・エスプリはモデル末期を迎え、300馬力前後のスポーツカー市場に穴が開こうとしていた。ウィーラーの視界には、当時のスポーツカーレースの頂点、GT1クラスがしっかり捉えられていた。

タスカンへ高性能仕様を追加するのに、充分な背景は存在していたといえる。GT1クラスのホモロゲーション・モデルとして、タスカン Rの開発は1999年にスタートした。

主任デザイナー兼エンジニアを担当したのは、同社のジョン・レイブンスクロフト氏。レーシングカー開発で定評のあった、英国のロールセンター・レーシング社との協働体制も組まれた。

スタイリングは、通常のタスカンと酷似していた。しかし、アルミホイールとヘッドライト以外は、GT1マシンとしての専用開発。スチール製のチューブラーシャシーを、軽量・高剛性なカーボンファイバー製パネルが包んだ。

記事に関わった人々

  • 執筆

    サイモン・ハックナル

    Simon Hucknall

    英国編集部ライター
  • 撮影

    ジョン・ブラッドショー

    John Bradshaw

    英国編集部フォトグラファー
  • 翻訳

    中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

TVR T 400R ナンバー付きGT1ル・マン・マシンの前後関係

前後関係をもっとみる

関連テーマ

おすすめ記事

 

人気記事