BMWガルミッシュ(1) 巨匠ガンディーニによる先取り3シリーズ 同意を得ず「密かに」製作!
公開 : 2024.05.05 17:45 更新 : 2024.05.16 00:30
密かに進められたガルミッシュの製作
この裏側で、ベルトーネ社は大胆な計画を密かに進めていた。モーターショーの来場者だけでなく、BMW側も驚かせることを狙い、プロトタイプを作ろうと考えたのだ。
ベース車両として、2002tiを入手。BMWの同意を得ずに、E21型を前提とする走行可能なモデルを、1970年に完成させる。
「オリジナルのアイデアは、スイスのジュネーブ・モーターショーのために、ヌッチオさんが考えたものです。サプライズのショーカーをデザインすることで、BMWとの関係性を強化したいと考えたのでしょう」。ガンディーニが振り返る。
「BMWのデザイン言語(特徴や志向)を忠実に守りながら、よりダイナミックで挑戦的な、モダンな中型クーペを作ることになりました」。と彼が続ける。
このモデルには、ミュンヘンの南にあるスキーリゾート地、ガルミッシュ・パルテンキルヒェンへちなんで、ガルミッシュという名前が与えられた。「スキーは人気がありました。ウインタースポーツと、アルプスのエレガントさを呼び起こすモデルでしたね」
ただし、見た目の印象を良くするため、ガルミッシュは各部の処理が実際の仕様を満たしていなかった。ベルトーネ社が正式にまとめたE21型のデザイン案と比較すると、フロント部分は35mm低く、ドアは長い。全体的にスムーズなフォルムをまとっていた。
このようなプロトタイプの製作は、カロッツエリアでは典型的な取り組みだった。ショーマンシップともいえるだろう。
3シリーズを5年先取りしたコンセプトカー
1970年、ホフマイスターはヌッチオから、3月のジュネーブ・モーターショーでワンオフのコンセプトカーを公開予定だと告げられる。恐らく、喜んでもらえると期待していただろう。しかしBMW側は、中止するよう勧告した。
今振り返ると、理由は明白だった。3シリーズとしてE21型が発売されたのは、1975年。モーターショーから5年も先だったのだから、尚早すぎた。
しかも1970年には、E12型5シリーズとE21型3シリーズを担当することになる、新しいチーフデザイナーを雇っていた。ポール・ブラック氏だ。
それでも、最終的には2人の強い関係性が後押しし、ガルミッシュは発表された。BMWの近未来のスタイリングを予見させ、混乱を招く可能性を含んだまま。来場者には、強い印象を与えたはずだ。
後にブラックが描いたE21型のデザインは、結果的にガンディーニの案とは異なっていた。数年後の次期モデルの新鮮さを失うリスクは、避けられたといえるが。
非常に明確でクリーン、ドラマチック
ガルミッシュの誕生から約半世紀が過ぎた2018年。BMWグループ・デザインを率いていた、アドリアン・ファン・ホーイドンク氏は、1つのアイデアを実行した。
それまで数10年間、BMWは横に長いキドニーグリルを使っていた。そこで彼は、縦に長いデザインへの転換を図った。斬新なだけにリスクはあったが、新しいデザイン言語、DNAの一部として据えられた。
アドリアンは、それ以前にガルミッシュの写真を目にしていた。キドニーグリルの歴史を表現するものとして、再現してはどうかと考えたのだ。
「ガンディーニさんのアイデアは、非常に明確でクリーン。同時にドラマチックです。彼は非常に少ない要素を用いて、素晴らしいデザインを生み出してきました。このアプローチは、今でも極めて現代的なものです」
「ガルミッシュの再製作は、彼へ敬意を表することに繋がります。知名度の低い1台を振り返ることで、ベルトーネ社による影響の大きさへ光を当てることもできます」
「BMWの歴史の空白を埋めることにもなり、それだけで実施する充分な理由になりました」。アドリアンが経緯を説明する。
この続きは、BMW ガルミッシュ(2)にて。