ボンドカー・ヒストリー
公開 : 2014.12.11 22:55 更新 : 2017.06.01 02:11
アストン・マーティンDB10が、007の第24作目となった “スペクトル” で、新たなボンドカーとなることが公表された。これを機に、歴代ボンドカーの変遷をたどっていって見たいと思う。
007シリーズの主人公、ジェームス・ボンドに欠かせないものといえば、女とウォッカ・マティーニ(ステアじゃなくシェイクで)、そしてクルマだ。1962年に007シリーズが始まって以来、この3つのファクターは普遍なものだ。一番馴染みの深いボンドの愛車といえばアストン・マーティンDB5を思い浮かべる人が最も多いのではないだろうか。しかし、劇中で活躍したクルマは、実はDB5以外にも様々だ。初代ボンドを演じたショーン・コネリーが、DB5の細いウッド・ステアリングを握るシーンは、1964年に封切りされた第3作、”ゴールドフィンガー” までなく、一作目となる “ドクター・ノオ” ではサンビーム・アルパイン・コンバーチブルに乗って登場していた。
お決まりのサントラと共に、ロールス・ロイスのファントムIIやDB5が華麗な登場するようになったのは、自動車メーカーが映画の協賛となってからのこと。余談だが、この協賛は歴史上最も成功したプロダクト・プレースメントの一例としてあげられる。
1967年公開の ”007は二度死ぬ” では日本が舞台となった。そのため、ボンドカーはアストン・マーティンの代わりにトヨタ2000GTが採用された。2000GTはスタイリッシュなFRで、日本初のスーパーカーであった。実際には2000GTにはクーペしか存在しなかったが、大柄なショーン・コネリーには2000GTのキャビンは小さ過ぎたようで、結局、急遽、特別にトヨタは2台のコンバーチブル・モデルを作成し、撮影現場に持ち込んだというエピソードがある。
1969年公開の “女王陛下の007” では、ジェームス・ボンド役がショーン・コネリーからジョージ・レーゼンビーになり、ボンドカーもアストン・マーティンDBSとなった。しかし、DB5よりも可愛げのないDBSは、単なる小道具としての位置づけになってしまった。そして、1971年公開の “ダイアモンドは永遠に” ではボンドカーをドライブすることもなく、MI6(イギリス秘密情報部)の研究開発課長である “Q” の研究所の前で、ひっそりとたたずむ姿がカットとして登場するぐらいであった。
DBSに加えて、もう一つの有名なボンドカーと言えば “女王陛下の007” で出てくる、赤いマーキュリー・クーガーXR-7である。ボンドの将来の妻となるトレーシー・ヴェンゾが、スパイク・タイヤを装着したXR-7で、北欧の凍結路をかっ飛ばし、地元警官と悪役ブロフェルドの手下からの追跡を逃れるというシーンが印象深かった。