「主人公」のような高揚感 フォード・マスタング 289  中毒性あるV8の加速! 誕生60年をルート66で祝福(1)

公開 : 2024.05.18 17:45

リー・アイアコッカ氏が見出した可能性

だが、後にフォードを率いる若きリー・アイアコッカ氏は、ファルコンにはさらに可能性があると考えていた。同時期のサンダーバードより小さく、2シーターや4シーター、ファストバック、ノッチバック、ミドシップなどの検討が進められた。

そこから1963年に導かれたのが、マスタングIIというコンセプト。翌1964年4月17日には、2ドアハードトップとコンバーチブルの初代マスタングが発売された。

フォード・マスタング 289(1964〜1965年/北米仕様)
フォード・マスタング 289(1964〜1965年/北米仕様)

人気は凄まじく、1年目に41万8000台を提供。1000台という差でファルコンを上回り、初年度の最多販売記録を塗り替えた。当時のアメリカの人口は現在の約半分で、殆ど輸出されなかったにも関わらず、だ。この記録は、今でも破られていない。

対するアンボーイは、1970年代に入ると衰退の道を辿った。4車線の高速道路が、ブリストル・マウンテンズの南側へ1973年に開通。通行する人は激減した。

最近までは、ロイズ・モーテル&カフェが、唯一ガソリンスタンドとして営業を続けていた。しかし、近年のレトロブームで建物は修復を受け、宿泊用のキャビンと郵便局も復活したそうだ。塩を運ぶディーゼル機関車の轟音が、遠くから聞こえてくる。

ルート66は、昨年の嵐の被害で通行止めの区間が多く、高速道路40号線で北へ迂回する。トレーラートラックを追い越した時、マスタングは間違いなく白煙を吐き出した。ハッと思い路肩へ寄せる。ところが、排気ガスは無色に戻っていた。

この続きは、フォード・マスタング 289  誕生60年をルート66で祝福(2)にて。

記事に関わった人々

  • 執筆

    チャーリー・カルダーウッド

    Charlie Calderwood

    英国編集部ライター
  • 撮影

    マックス・エドレストン

    Max Edleston

    英国編集部フォトグラファー
  • 翻訳

    中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

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