クラシックベントレー31台による日本一周大冒険ツアー 「BENTLY RISING SUN RALLY 2024」その一端をレポート

公開 : 2024.05.04 11:05  更新 : 2024.05.08 09:31

春浅い信濃路に響くベントレーのエグゾースト

頂上の長いトンネルを抜けると信濃路に入る。まるで季節が戻ったかのように景色が変わり、桜が残るまだ春浅い高原は、冷気の中に沈んでいた。ベントレーの野太いエグゾーストノイズと特徴的なメカニカルノイズが、澄んだ空気を震わせて気持ちが良い。

蓼科東急ホテルに向かう1929年4 1/2リッター。後ろは2004年アルナージュ。
蓼科東急ホテルに向かう1929年4 1/2リッター。後ろは2004年アルナージュ。    前田惠介

祖父の代からのベントレーボーイは日本から

午後3時ごろには蓼科東急ホテルに到着。パーキングではプラグを交換したり、オイルを足したりとメインテナンスに余念のないエントラントの姿が見受けられた。

写真を撮影していると、日本国内から唯一全行程を参加している3リッタースピードが入ってきた。オーナーは岡部誠さんで、祖父の代からベントレーを所有しているという筋金入りのベントレーボーイであった。

日本から、唯一全行程を参加した1926年3リッター。
日本から、唯一全行程を参加した1926年3リッター。    前田惠介

蓼科東急ホテル 夜はバーベキュー・パーティー

夜はわれわれ取材陣も参加してバーベキュー・パーティーである。蓼科高原の夜はまだ息が白く、かなり冷え込んでいたが、寒さを吹き飛ばすような彼らの飲み、食べ、かつ喋るパワーには圧倒された。

パーティーの最後はベントレーモーターズ ジャパンのブランドダイレクター、遠藤氏による歓迎の挨拶で締めくくられた。毎日、こんな行程をフルに楽しんで行くアングロサクソンのパワーには敵わないなあ、というのが正直なところであった。

夜のバーべキューは、大いに盛り上がった。
夜のバーべキューは、大いに盛り上がった。    前田惠介

4月24日 蓼科から松本城、そして富士SWへ

本日は蓼科から松本城に行き、その後、富士スピードウェイホテルへ向かう約200kmの行程である。この日のテーマはワインディングを走ることであった。

蓼科東急ホテルを出発する1929年4 1/2リッター。
蓼科東急ホテルを出発する1929年4 1/2リッター。    前田惠介

タイトな山岳路をものともせず

蓼科から、松本城までのルートは、道幅は狭く急勾配のうえ、深い霧で、100年前のベントレーにはかなり厳しいコースであったが、皆ものともせずに通過する。クルマも人も実にタフだ。事務局の岡田さんによると、事前の下見では、更にタイトなコースが多くセレクトされていて、これでもかなり抑えてもらったのだという。

ここで私は最新のフライングスパーの奥深い実力を味わうことができた。ボディサイズは現代のクルマの常でそこそこ大きいのだが、ワインディングで振り回していると全くそのサイズを感じさせず、V8エンジンの有り余るパワーと的確なステアリングで加減速を繰り返しながら、ウェットにもかかわらず気持ちよく駆け抜けることができた。ベントレーの100年の伝統はしっかりと受け継がれているのである。

狭く急なワインディングを駆け上がる1929年スピード6。
狭く急なワインディングを駆け上がる1929年スピード6。    前田惠介

記事に関わった人々

  • 執筆

    笹本健次

    Kenji Sasamoto

    1949年生まれ。趣味の出版社ネコ・パブリッシングのファウンダー。2011年9月よりAUTOCAR JAPANの編集長、2024年8月より総編集長を務める。出版業界での長期にわたる豊富な経験を持ち、得意とする分野も自動車のみならず鉄道、モーターサイクルなど多岐にわたる。フェラーリ、ポルシェのファナティックとしても有名。
  • 撮影

    前田惠介

    Keisuke Maeda

    1962年生まれ。はじめて買ったクルマは、ジムニーSJ30F。自動車メーカーのカタログを撮影する会社に5年間勤務。スタジオ撮影のノウハウを会得後独立。自動車関連の撮影のほか、現在、湘南で地元密着型の写真館を営業中。今の愛車はスズキ・ジムニー(JB23)

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