クラシックベントレー31台による日本一周大冒険ツアー 「BENTLY RISING SUN RALLY 2024」その一端をレポート
公開 : 2024.05.04 11:05 更新 : 2024.05.08 09:31
松本城に到着
松本城は松江城に次いでこのツアーで2つ目に訪問するお城である。お堀にそびえ立つ松本城は駐車場からも近く、皆さんしっかりと見学していたようだ。
ここでは後から来たVF6622のナンバーを持つ1929年スピード6のオーナー、イアン・オーエンさんと一緒にお城の周りを散歩した。彼らも日本の持つ独特の良さに感動したと話してくれた。
日本ウイスキーの聖地、白州へ
今日の到着地、富士スピードウェイに行く前にあと2か所、立ち寄るところがあった。その一つは山梨県北杜市にある、サントリーの白州蒸留所である。
今、国産ウイスキーの世界的評価はうなぎ上りで、その先端にサントリーが位置しているが、実はウイスキーの本場、スコットランドの老舗グレンファークラス・ディスティラリーのオーナーであるジョン・グラントさん夫妻も、このツアーに1934年の3.5ダービーで参加していた。
タイミングが合わずお話を伺うことはできなかったが、白州でどんな感想を持ったのだろうか。
われわれは訪問者一人に1本だけ購入の権利が与えられる、シングルモルトの「白州」を購入したのはいうまでもない。
御坂峠はつづら折りの旧道を
甲府盆地から河口湖に向かう御坂峠は、現在はショートカットする長いトンネルで結ばれているが、つづら折りの急坂が続く旧道のトンネル出口付近に、かつて作家の井伏鱒二や太宰治が逗留した「天下茶屋」があり、そこからの富士山の眺めは本当に美しく名所となっている。現在はあまり訪れる人はいないのだが、なんと今回のツアーはこのコースを選択していた。
天下茶屋で出会ったのは、1929年の4 1/2リッターでオーストラリアのアダム・シェパードさんのエントリーであった。4 1/2リッターは最も参加台数が多く、8台を数えている。そのサイド・プロポーションもベントレーらしさを最も体現していると思う。
残念ながら目の前に広がるはずの富士山は雨でまったく見えず、エントラントからは「どのあたりがフジなのか」と何度も聞かれた。翌日の天気予報は快晴であったから、「明日の朝を楽しみに」と言うしかなかったが、その後の報告で、皆、翌日の晴天とヘリによる遊覧飛行を楽しんだようである。
インバウンドの最高峰を垣間見た2日間
富士スピードウェイホテルに到着したのは午後5時ごろ。すでに殆どのエントラントが到着し、アフタヌーンティーを楽しんでいた。
われわれは24日間のツアーの内たった2日間参加しただけであったが、インバウンド客の中でもその最高峰に位置する、深く長く日本を知るツアーの存在を垣間見ることができた。エントラントの皆さんに聞いた日本の印象は、人々が優しく、食事が美味しく、素晴らしい体験ができたと多くの人が語ってくれた。エントラントの多くはすでにビジネスからはリタイヤしていて、ベントレーとの暮らしを心の底から楽しんでいる姿がうかがえた。
私が約40年前に何度も英国を訪れた際、かの地の若者は生まれた時から家にクルマがあり、父親や祖父と共に当たり前のように古いクルマを楽しむ姿に感動したものである。
その時、日本のクルマ文化もいずれはそうならなくてはと感じたのだが、今の日本はまさに40年前の英国と同じ状況にある。実はAUTOCAR JAPAN編集部にも、マニアックな若者がスタッフとして加わってきた。この状況は大いに楽しみだが、英国はさらに先を行き、100年前のクルマでガンガン走っているのだ。
「クルマは、走ってこそなんぼ」なのである。
なお、ツアーの参加車両などの詳細は、画像ギャラリーでぜひ見ていただきたい。
画像 クラシックベントレー31台による日本一周大冒険ツアー 「BENTLY RISING SUN RALLY 2024」4/23-24の区間レポート 全39枚