MスペックのMはミドルハースト? スカイラインGT-Rで成功した男(2) レザーシートはロールス・ロイス製

公開 : 2024.05.19 17:46

ワイルド・スピードのため飛行機でGT-Rを送った

英国仕様のR33型GT-Rは改良のため納期が遅れたが、あっという間に完売。ミドルハースト日産の評判も高まり、ビジネスは成長していった。

チューニングパーツを供給するHKSと、日産モータースポーツ「ニスモ」と手を組み、特別なGT-Rも仕上げている。「すべて、レースで学んだことを活かしています。10台未満でしたが、最高出力は350馬力以上。簡単に500馬力まで届きました」

日産スカイライン GT-R(R34型/1999〜2002年/英国仕様)
日産スカイライン GT-R(R34型/1999〜2002年/英国仕様)

スカイラインが10代目のR34型へモデルチェンジすると、アンディはGT-Rでモータースポーツへ復帰。1999年に、ニュルブルクリンク24時間レースへ出場している。

レーシングドライバーのマット・ニール氏とティム・ハーベイ氏の3名で、日産ヨーロッパのワークス体制を組んだ。しかし、ターボが故障しリタイアに喫した。他方、R34型の話題性は高くなく、英国での販売は80台に留まった。

近年は、アンディが売買するGT-Rで最も高価格なのがR34型だ。30万ポンド(約5760万円)の値が付く場合もあるという。アメリカでは、クルマの輸入に掛かる規制が免除となる25年が過ぎ、人気は一層上昇する可能性が高い。

「映画のワイルド・スピードのことは、オンタイムでは知りませんでした。しかし、撮影の過程でクルマが壊れるので、自分のところへ提供依頼がありました。時間ロスを最小限にするため、GT-Rを飛行機で送りましたよ」

「ある晩には、ジャンプさせるとかで、前後の重量配分を尋ねる電話もありましたね。R34型は、ほぼ50:50だと答えました。撮影スタッフはGT-Rを壊し続け、われわれは部品を提供し続けました」

販売を禁じられた試作のR35型

R34型は2002年に終了。R35型のGT-Rは2007年に登場するが、英国へ届けられたのは2009年からだった。エンジンは3.8L V型6気筒のツインターボへ変更。デュアルクラッチ・トランスミッションを採用するなど、大幅な進化が与えられていた。

アンディは、レーシングコンストラクターを通じて独自に2台を入手するものの、当初の日産は日本以外での販売へ消極的だった。「取り扱いたいと必死に連絡していましたが、大手のディーラー以外へ卸すことは考えていないと日産は説明したんです」

日産GT-R(R35型/2007年〜/英国仕様)
日産GT-R(R35型/2007年〜/英国仕様)

「弊社が大都市のリバプールとマンチェスターの中間にあるので、顧客は訪れないともいわれました。そこで、先に輸入していた1台で密かに営業。500件の見込み顧客があることを伝え、合意を得ました。決定後は、3日間ぶっ通しで注文を入力しましたね」

彼が所有するR35型は、普段使いしている1台。20台が手作りされた、量産直前のプロトタイプに当たるという。ニュルブルクリンクで、7分38秒の記録を残したクルマ、そのものだ。

このGT-Rは、販売することを禁じられている。墓場まで、アンディは連れ添うつもりだという。

現在のミドルハースト日産は、維持費の掛かる新車ディーラーではなく、認証整備工場という立場へ変更。フォーミュラ・ルノーとフォーミュラ・フォードで優勝経験を持つ、息子のクリスも加わった。過去に納車したGT-Rは、いつでも戻って来れる態勢にある。

記事に関わった人々

  • 執筆

    ベン・バリー

    Ben Barry

    英国編集部ライター
  • 撮影

    マックス・エドレストン

    Max Edleston

    英国編集部フォトグラファー
  • 翻訳

    中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

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