12時間レースでクラス優勝を狙え! MGA ツインカム・ワークスマシン(1) エンジンも塗装も64年前のまま

公開 : 2024.05.25 17:45

6台作られたMGA ツインカムのワークスマシン

かなりの競争力向上といえたが、ドライバーの関心を惹くには、露出を高める必要があった。携帯電話もない時代に、実力を広く知ってもらう方法はただ1つ、モータースポーツでの勝利だ。

1950年代には、MGがターゲットとする人の80%は北米大陸に住んでいた。自ずと、参加するレースもアメリカでの開催へ絞られた。

MGA ツインカム・ワークスマシン(1960年式/セブリング12時間レース仕様)
MGA ツインカム・ワークスマシン(1960年式/セブリング12時間レース仕様)

アメリカ人起業家でレーシングドライバーとしても活躍した、ブリッグス・カニンガム氏がフロリダ州にセブリング・インターナショナル・レースウェイを完成させて以来、MGは積極的に参画。以前から、12時間レースへレーシングカーを提供してもいた。

グレートブリテン島の中南部、アビンドン・オン・テムズを拠点とする技術者は、1959年に3台のワークスカーを準備。その年の12時間レースは雨が続いたが、2台が1300-1600ccクラスで2位と3位に入る、好成績を収めた。

翌1960年には、それ以上の成績が目指されて当然だろう。年が明けると、アッシュ・グリーンに塗られた6台のMGA ツインカムが製造ラインから抜き取られ、コンペティション部門へ搬入。レーシングカーの製作が始まった。

メカニズムは殆どオリジナルのままだったが、エンジンには2インチのSUキャブレターを2基装備。フロントグリルの横に吸気口が設けられ、より多くの空気がエンジンルームへ導かれた。オイルフィラーキャップまで専用品になった。

アメリカ・フロリダ州へ搬送された4台

4速マニュアルには、クロスレシオのギアをセット。リミテッドスリップ・デフも与えられた。ボンネットには、アメリカ・フロリダ州の陽気に備え、キャビンへ冷気を送るダクト用のインテークが追加された。

長距離用の20ガロン(約78L)・ガソリンタンクを積むため、荷室のフロアは切断。給油キャップがトランクリッドの横に顔を出し、素早い補給を可能とした。

MGA ツインカム・ワークスマシン(1960年式/セブリング12時間レース仕様)
MGA ツインカム・ワークスマシン(1960年式/セブリング12時間レース仕様)

前後のバンパーは外され、ヴァンデンプラ社製のアルミ製ハードトップを装着。ブリティッシュ・レーシンググリーンの再塗装で、全体が仕上げられた。シャシーは、センタージャッキで持ち上げられるよう、改良された程度だ。

6台のワークスマシンは、1960年2月16日に完成。MGの英国代理店、クロウソーン・モーターズへ届けられると、4台がフロリダへ搬送された。残る1台はグレートブリテン島に残り、もう1台はカナダ人によって買い取られた。

セブリングへ向かった4台には、UMO 93からUMO 94、UMO 95、UMO 96という、通しのナンバーが与えられた。いずれも、バークシャー州での登録だった。

UMO 94は練習用で、3チームが共有。ゼッケン38番が振られた、UMO 95のステアリングホイールを握ったのは、英国人のエドワード・ランド氏とコリン・エスコット氏。1959年のル・マン24時間レースで、エドワードはクラス優勝を遂げていた。

39番のUMO 96は、カナダ人のエド・リーブンス氏とフレッド・ヘイズ氏がドライブ。今回ご登場願った40番のUMO 93は、アメリカ人のジム・パーキンソン氏とジャック・フラハティ氏のチームへ割り当てられた。

この続きは、MGA ツインカム・ワークスマシン(2)にて。

記事に関わった人々

  • 執筆

    サイモン・ハックナル

    Simon Hucknall

    英国編集部ライター
  • 撮影

    ジェイソン・フォン

    Jayson Fong

    英国編集部フォトグラファー
  • 翻訳

    中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

MGA ツインカム・ワークスマシンの前後関係

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