誇り高き「重厚感」 アストン マーティン・ヴィラージュ 6.3(2) 魅力の中心がV8エンジン 好調のトリガー

公開 : 2024.06.01 17:46

1980年代にアストン マーティンの未来を背負ったヴィラージュ プロトタイプ・レーサーのエンジンを公道モデルへ ブランドを好調へ導いたトリガー 30年前の賜物を英国編集部がご紹介

アストン マーティンは本来はこうあるべき

アストン マーティンの技術者による熱心な開発を経て、ヴィラージュ 6.3はお披露目の準備が整った。会場に選ばれたのは、1991年のグッドウッド・サーキットで開かれた、オーナーズクラブ・ミーティングだった。

試乗したアストン マーティンのオーナーは、引き上げられた動力性能を実感。ワイドボディが、シケインから鋭く加速していく姿へ魅了された。

アストン マーティン・ヴィラージュ 6.3(1992〜1993年/英国仕様)
アストン マーティン・ヴィラージュ 6.3(1992〜1993年/英国仕様)

通常モデルの英国価格が14万ポンドだったのに対し、6.3L仕様へのコンバージョンに求められたのは6万ポンド。それでも、0-97km/h加速5.1秒、0-160km/h加速11.5秒、最高速度281km/hという数字は、大きな話題をさらった。

少なくないオーナーが、本来はこうあるべきだと考えたに違いない。中には6.3Lエンジンは不要で、ボディキットとシャシーのアップデートだけを希望した人もいたというが、合計で約60台が「6.3」へ生まれ変わった。

コンバージョンには、1台につき12週間が必要とされた。在庫していたヴィラージュを6.3化することで、新たな契約にも結びつけることができ、ディーラーにとってもプラスだった。

技術者による意欲的な仕事と、オーナーやメディアからの反応などは、新しいアストン マーティンDB7の具体性を検討していた、親会社のフォードへ刺激を与えた。スーパーチャージャーを載せたヴィラージュの高性能版、ヴァンテージの予算も確保された。

1992年には、コンバーチブルのヴォランテも追加。カスタマーサービス部門へ、顧客から予約の電話が入ることもあったそうだ。

アストン マーティンらしい誇り高き重厚感

1993年に5.3L V8スーパーチャージャーのヴァンテージが登場。新しいDB7も1994年に発売され、ヴィラージュ 6.3の存在感は小さくなっていった。しかし、これがブランド好調のトリガーになったことは間違いない。

一時は倒産の危機にもあったアストン マーティンは、年間数1000台を提供する規模へ成長。ブランド・ファンの期待へ応えることで、自ら将来を切り拓いたといえる。

試作車の通称「ミンキー」は、1993年に最新仕様へアップデート。6.3Lの排気量はそのままに、最高出力507ps、最大トルク66.2kg-mへ引き上げられた。

改めてJ402 MNKのナンバーを付けたヴィラージュ 6.3へ近づいてみると、フレアしたホイールアーチと、マッシブなテール周りに特有の重量感が漂う。アストン マーティンらしい、誇り高き重厚感ともいえるだろう。

ドアを開けば、コノリー・レザーのワックスに似た香りが漂ってくる。内装の殆どはレザー張り。ウォールナット・パネルの艶は深い。モダンなステレオユニットが、少し雰囲気を乱している。

リアシートの乗員のために、ソニー社製のテレビがセンターコンソールへ埋められている。1990年代では、最高のおもてなしだった。設計の古さを感じさせるのが、キャビンの狭さ。内装パネルは、固定ポイントの周辺が不自然に歪んでいる。

巨大なトランスミッション・トンネルが、運転席と助手席を分断。エアコンの送風口がダッシュボード下に追加され、膝周りが窮屈に感じてしまう。

記事に関わった人々

  • 執筆

    アーロン・マッケイ

    Aaron McKay

    英国編集部ライター
  • 撮影

    ジョン・ブラッドショー

    John Bradshaw

    英国編集部フォトグラファー
  • 翻訳

    中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

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